引き寄せの法則で「相手を許すことで豊かになる・幸せになる」というのは本当か
今回は、許しに関してのお話です。
よく引き寄せでは、相手や自分を許すと幸せになれると言いますよね。
これは本当か?というと、本当だとは思います。
なぜか?というと…。
人って何か被害を被ったと感じたときついつい、
「あの人のせいで、私は不幸になった」
と考えます。
そして相手に謝罪や反省など、態度を改めることを求めます。
「あの人が変わってくれれば、私の気が済む、私は幸せになれる」
と思って。
これって、自分の幸不幸は相手の意志・行動に委ねられているということ。
幸せになるためには、その相手が必要になってきます。
あの人のせいで不幸になった…ということは、ひいては、
「私は、あの人なしでは幸せになれない」
と認めたということ。
なので、憎い相手から離れないでいる人もたくさんいます。
私自身もそうだったのですが、
「親のせいでこうなった」
とひどく憎みながらも、ずっと同居していました。
はたから見れば、
「そんなに嫌いなら家を出れば?」
と思うかもしれませんが、家を出て相手から離れてしまうと、
相手を変えようとする機会・反省や謝罪をしてもらう機会を失う
↓
相手が態度を改めることで自分が幸せになれる機会を失う
ということですから、憎くて仕方がないのに離れるわけにはいかない、となります。
「憎い相手に変わってもらう」という方法以外で、どうやって幸せになればいいのかわからないと、こうなります。
こうして、嫌いなはずの相手から離れられないでいる人もたくさんいます。
不思議ですね、そこまで憎んでいるのに、その人なしでは幸せになれないなんて。
そこまで憎んでいるのに、その人が誰よりも必要だなんて。
そんなおかしな状態を作り上げてしまうのが、
「あの人のせいでこうなった」
という思考です。
誰かを憎んでいない人は、そういうことはない。
自分が幸せになるかどうかを自分で決められる。
自分の幸せを自分で決定できる人と、
自分が幸せになれるかどうかが他者にかかっていて、その人がいないと幸せになれない人。
これはやはり、前者のほうがより幸せになれますね。
憎しみを手放し許すことで、
「憎い相手に頼ることなく幸せになれる」
という段階にいけますので、やはり許すことで許していないときより幸せになれるというのは本当のことだろうとは思います。
許したいけど許せないのは、心理下に「許すと不幸になる」という思いがあるから
こういったことは、引き寄せについて読んだりしたことのある人ならもう知っているかもしれません。
それで多くの人が、
「では、幸せになるために相手を許そう」
と思いはじめます。
それ自体は悪いことではないのですが、許そうと思ってハイそうしましょと許せるものではなく、許したいのに許せないと苦しむ人も出てきます。
では、なぜ許せないのか?
なぜかというと上で書いた、
「その人が態度を改めてくれないと幸せになれない」
という考えと、
「幸せになるために許そう」
という考えは対立するし、前者が勝ってしまうからですね。
「相手が態度を改めてくれれば→私は幸せになれる」
というのは、
「相手を許せば相手は態度を改めなくなる→私は幸せになれなくなる」
ことを意味しますので、心の奥深くでは、
「相手を許せば自分の不幸が決定する」
と思っている。
心底でそう思っているときに、どれほどネットとか本とかで、
「相手を許すことで自分は幸せになれる」
という言葉を聞いてそうしようとしてみても、心の奥底の強い思考、
「許せば私は幸せになれない」
のほうが勝つので、許せない。
自分が幸せになりたいと望む限り、相手を許すことはできなくなります。
これは、自身がそう思っているのだなぁということが自覚できると変われると思うのですが、
なかなかその自覚が持てない人も多いように思います。
意識の上では、「あんな奴死ねばいいのに」とか思っているし、ものすごく必要のない相手に思えるんですよね。
いなくなっても構わないと強く思っています、顕在意識上では。
よもや自分が心の底では「どうか幸せにして!」と相手にすがっている状態だなんて思いもよらないという人が多いし、
薄々そのことに気づいていても、
「あんな奴に私が頼っているだと!?絶対私はあんなヤツ、必要なんかじゃないもんね!!」
なんて気持ちがあって、自分が相手を必要としているということをうまく認められない人もいる。
まっすぐに、
「私は、あの人を必要としているのだ」
ということを見つめれば、そこから、
「いいや、そんな生き方は嫌だ!!」
という確固たる決意が生まれて生き方を変えられるのですが、
その自覚が曖昧なので、ひいてはその自覚から生まれる「嫌だ!変わろう!」という決意も曖昧なままになります。
変わろうという意志が曖昧なままならば、変われません。
しかしそういうことに自分で気づいていない状態だと、表面的には、
「なぜ変わるために(幸せになるために)こんなにも許そうと思っているのに、許せないのだろう?」
となります。
許すのが大事、感謝するのが大事と思い、人に舐められていく人もいる
あと、必死に許そう許そうとしている人の許し方って、
なにかちょっと違っちゃってるんじゃないかな?と感じることもよくあります。
「寛容な心を持てば、相手のことを許せる心があれば、自分は憎しみにさいなまれて辛い思いをしなくてすむ」
「だから、相手のすることを許せるようになろう」
…ということ自体は間違っていないと思うんですけど、なんか許し方がヘン?と思うことがあるんですね。
たとえば…、相手にひどい扱いを受けても、
「こんなことで怒っちゃいけないわ」
とか、
「相手はきっと私のためを思ってやってくれたのだわ、感謝しなきゃ」
とか思ってる人がいます。
なんというか、相手が何をしてきても腹を立てまい、感謝しよう、というスタンスの人。
「それのどこがいけないの?」
って思うかもしれないんだけど…私はこれ、許すことと赦すことの区別がついてないんじゃないかしら?と思えるんです。
○許す…なにかを許可すること
○赦す…怒りや恨みを手放すこと
です。
うーんと、例えば、あなたにお子さんがいてどっかで万引きしてきたとします。
○許す→「あら盗んだの、いいのよ~、欲しかったんだからしょうがないよね」と盗んだことを許可する
○赦す→盗みをしたこと自体は許可せずしっかり戒める。しかし、盗んだことで子を憎むわけではない
あるいは、あなたがいじめられたとする。
○許す→「いじめてもいいよ、怒らないでニコニコしてます」といじめという行為を許可する
○赦す→いじめ自体は許可しない。しかし、いじめられたときの憎しみは乗り越えて手放す
みたいな違いです。
許そうとしても許せないって人は、許可のほうの「許す」をしようとしてるように見えます。
「過去に私をいじめた人を許そうと思ってもどうしても許せません」
という人がいたりしますけど、そういう人って「いじめ」という行為自体を、してもよかったんだよと許可しようとしてるんじゃないのか?と。
でも、そこは許可するところではない。
相手にも事情があったかもしれないけど、いじめていいわけではない。
相手にも事情があったかもしれないから、いじめられてもしょうがなかったと思おう…とか、
相手の行為に許可を与えようとするから、できない…となるんじゃないかな。
別にそれはできなくていいと思うんですね。
そこを許可したら、人からなめられるようになっていくだけだと思います、
相手が間違っていても何も言わない、ひどいことされても何も言わない人間になるってことですから。
それはなんか違うだろうと自分でもなんとな~く感じていて、だから許そうとしても許せない。
でも、自分のしていること(許そうとすること)は良いこと、すべきことのはずだ…と意識の上では感じるので、
「すべき良きことをできない私は未熟なのでは?」
と思ってしまう。
いや、別に未熟ではない。
そこは許可しなくていいところです。
許可してなめられていく人もいるけど、なめられても幸せになれるわけではない。
相手を赦すためには、相手を許さないこともときには大切
私がはっきり意識してほしいな~って思うのは、
「許さなくても赦すことはできる」
というところです。
子が盗みを働いたとき、盗みを許さなくても子を赦すことはできますよね。
というかむしろこういうときは、赦しは必要でも許しはいらない、すべきではないと思います。
「盗んじゃったのね~、でも許すわよ~」
だとどうかな、それだと相手との良い関係は築けないんじゃないかな。
同じように、いじめを受けたとか、虐待されたとか、こっぴどくふられたとか、裏切られたとか、
そういうときに、「いじめ・虐待・酷い扱い・裏切り」そのものをしてもよきことと許可する必要はない。
それをしてもよいこととしてしまったら、なめられて、同じようなことする人に狙われるよ。
そういうことする人って、そういうことを許してくれる人を見抜くのがうまいから。
そうではなく、
「私はそういう行いは絶対に許さない、許可しない」
と、むしろ許すものか!と毅然としたほうがいいと思います。
私はそういうことが嫌いなのだ、許せないのだ、と、断固許すまいとする。
それは、自分の意志を持つことです。
私はこれが好きだけどあれは嫌いとか、
私はここまでは許すがこれ以上は許さないとかをはっきりさせるということは、
自分の人生を生きる上で、
「自分の意志でなにが良いか悪いかを決め、自分で良い方を選んでいこう。自分で悪いものは遠ざけよう」
という意志を持つことです。
なまじその意志を封印して許可を与えようと思うから、相手のことを許せないままになってしまい、心理的な縁が切れない。
絶対にそんなことは許可できないと心の底から拒否すれば、相手とは一線を引いたということなので、相手から心が離れられる。
それは、憎んでいる相手に幸せにしてもらおう…という依存的な状態から脱すること。
自立をすること。
自分の力で幸せになろうという強さを持つということ。
自分の力で幸せになろうという強さがある人は、幸せになれる。
そして幸せになるほどに、恨みは消えて赦しに近づきます。
人を許さなくても赦すことはできる。
あなたが許可したくないものはしなくても、幸せになれる。
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