「相手を許すと良い引き寄せが起きる」について
今回は「自分を許す」ということについてです。
その前にまず、前回の「他人を許す」というお話についてもうちょっと詳しく話そうと思います。
「許す」と「赦す」を分けて考える
まず、「許す」と「赦す」を明確に分けて考えてみてほしいです。
許すというのは、なにかを許可すること。
赦すというのは、憎しみ・恨みを手放すことです。
引き寄せでよく言われる「他人を許しなさい」というのは「赦し」のほうですね。
(ふだんあんまり赦すって漢字は使わないので、許すって表記されてますけど)
たとえば、会社で部下がミスをしてしまった、というとき。
○許す→「ミスしちゃったの、別にいいよー。これからもミスしてもしょうがないよ」とミス自体をしてもよいものと許可する
○赦す→ミスはしてはいけないことなのでミス自体は許可しない。ただ、ミスしたからといってその相手を憎んだりしない
という違いです。
多くの人が「他人を許す」というときに、「許可」のほうを与えようとしているように思えます。
「まだ新人だからミスしてもしょうがないと思おう…」
「きっと悪気があってやったわけじゃないし、ミスしたからって怒っちゃだめ…」
とか、ミスしたこと自体を「してもよかった・しょうがなかった」と許可しようとしだす。
「新人はミスしやすい」
「悪意がなくてもうっかりしてしまうことがある」
これは確かに仕方のないことですから、そこは認めて許可すると良い部分だと思います。
でも、
「あなたがミスしやすい状態にあることは許す。しかし、ミスをしたことそのものは許可できない」
と、明確に分けて考えてミスに対策を打たないと、ミスがなくならないですよね。
ここで、
「あなたはミスしやすい状態にあることを許す、ひいては、ミスしたことそのものも許可する」
だと部下は伸びないし、自分も困るままなのですが、多くの人がこれをやっちゃってるように思います。
「相手を認めること=相手のすることを認めること」
みたいにつなげて考えている人が多いように感じるんですが、
「相手を認めるが、しかし相手のした『ある特定の行為』に関しては認めない」
という線引きができないとなにかがおかしくなっていってしまう。
悪口を「許す」必要はない
悪口を言われたとき、
「中には悪口を言う人もいる」
というのはしょうがない部分だし、認められると良いことだとは思いますが、
「中には悪口を言う人もいるので、この人がそういう人であることは認める。
しかし、『悪口を言うという行為そのもの』は私は嫌いだし、許可できない」
と明確に分けて考えたほうがいいと思うんです。
そこを分けて考えてしっかり意識できると、悪口に対して、
「私は許さない、屈しない」
と毅然としていられるし、同時に、
「でも、相手がそういう人間であることはしょうがないよね」
と相手のことは認めているので、
「悪口を言う相手をどうしてやろうか?」
なんて考えに取りつかれることもない。
毅然として、かつ穏やかでいられる。なので人間関係がうまくいく。
でも、
「中には悪口を言う人もいるので、この人がそういう人であることは認める。
ひいては、悪口を言われてもその行為を許可しましょう」
というふうに…「相手を認める=相手の行為を認める」と考えていると、どうしても心の底で、
「なんで悪口言われたことなんて許さなきゃいけないの」
という納得できない気持ちが生まれて許せない。
相手の行為が許せないということは、それとイコールでつながっている「相手そのもの」も許せない。
こうなると、
「アイツをどうしてやろうか」
「どうしても頭から離れない、謝ってくれないと気が済まない」
なんて、悪口を言う相手をどうにかしようと躍起になってしまったりもする。
これが相手への恨みを潜在意識下に抱えたままの状態、赦せない状態。
ときには「許さない」と決意することも大切
私は、
「相手を赦せない」
っていうのは、
「相手を認める=相手のしたことを認める」
と、2つをイコールで結びつけて考えているから起こることなんじゃないかと思います。
相手を赦すということをするためには、ときには、
「それは許可できない、私は受け入れない」
と、断固なにかを「許さない」と決意することも大切だと思います。
そうして、嫌なものは嫌だと認めて嫌なものからは距離を置かないと、
自分の人生はずっと嫌なものがある状態のまま変わらなくなる。
ずっと嫌なものが近くにあるなんて状態では、相手を赦そうなんて心の余裕も持てなくなる。
引き寄せは「相手を赦す」ということはすすめているけれど、
「相手のした行為をなんでもかんでも許可しなさい」
とはすすめていないです。
「相手を認める≠相手の行為を認める」
「相手を赦す≠相手の行為を許す」
です。
ノットイコール。2つは別のものだと覚えておいてほしいなと思います。
相手の行為を許さなくても、相手を赦すことはできます。
イコールでつなげず分けて考えると、うまくいきます。
できない自分が許せない…という心理はどんなもの?
ではでは、自分を許すということについて。
この場合も、よく使われる漢字は「許す」のほうだけど本来は「赦す」を意味していますよね。
自分自身への憎しみ、自責の念を捨てることを指しています。
この「自分を赦す」ということがどうしてもできません…という人は、
自分でも気づかないうちになんとなく潜在意識下で、
「相手を認める=相手のしたことを認める」
というのと同じように、
「自分を認める=自分のしたことを認める」
と2つをイコールでつなげて考えてしまっているから自分を認められない・自分を赦せない…となるんじゃないか?と思います。
さっきの新人のミスだと、
「ミスしたのはしょうがないよ」
とミス自体をしてよかったこととしてしまうと、その後その人は伸びない。
「あなたがミスしやすい状態だったのは認めるしそこは責めないけれど、ミスしたことそのものを『OKだよ』とは許可できないから改善を」
としないと今後につながらないですよね。
全く同じように、自分がなにかをしたときに、
「しでかしてしまったことそのもの」
を許可しようとすると、自分が伸びなくなるのですが、それをしようとしている人が多いように感じます。
勉強しようと思ったのにダラダラとテレビを見てしまった、というとき。
「それをしてもいいんだよ、してもしょうがなかったんだよ、そんな自分を認めよう」
と、その行為も含めて良しとしよう、みたいな感じ。
その行為を許すのは良くないと潜在意識下で気づいている
ですが、その行為は…してもよい、ということにして良いのか?と。
「ダラダラとテレビを見る自分を認める」
ということをしてしまうと、ではテレビを見ていていいことになるし、勉強できる自分になれない。
これは単に自分を甘やかしているだけ。
そして、ほとんどの人は、
「これって単に自分を甘やかしてるだけなんじゃないの?」
「こんなことしてて、本当に自分は良くなれるの?」
ということに、心の底の底では気づいている。
ミスした新人を甘やかしても伸びていかないことはみんなわかっているのと同じように、
ダラダラした自分を甘やかしても自分が伸びていかないことは本当はみんな、すでに知っている。
だから潜在意識下で、自分でも気づかないうちに「それおかしくない?」というストップがかかり、
「自分を赦そうと思っても赦せません」
となる。
許さない強さを持つことで赦せる
こういうときには勇気を出して、
「私の、ここが良くないのだ」
と、自分のした行為を否定してみると良いと思います。
それは怖いことかもしれません。
自分のした行為が良くないことと認め、改善しなきゃいけなくなるのは、とても面倒だし恐ろしいことのように思えますよね。
でも、自分の行為を「許可できない」と自分で言えたときには、ある種のすがすがしさが生まれることに気づくと思います。
「自分を認める=自分のしたことを認める」
こう考えている人は、自分の改善点を認めたがりません。
自分のしたことを良くないことと認めるということは、それすなわち、自分が良くない人間だと認める、ということだと思っているからです。
自分をダメな人間だと思いたくない…。
そういう潜在意識下の思いが強い人ほど、自分のした行為を「良くなかった」と認められなくなります。
「良くない」と言う勇気を持てたとき、そんな自分を好きになれる
でもこれ、うーん、こればっかりはやってみないとわからないことなので言葉で説明しても実感はできないと思いますが、
思い切って、自分のした行為を良くなかった、と心底から認めたとき、
「私は成長した」
という自負が生まれるものなんです。
認めるのが怖くて逃げ回っていたものと対峙したのですから、そのとき人って確実に、
「私は、逃げるのをやめて立ち向かった」
「今までよりも強くなった」
という自信が湧くものなんです。
すると、
「あぁ、自分の弱点や改善点を認めるということは、自分をダメだと認めることではなくて、強くなるということなのだ」
と気づきます。
そうしてひとまわり強くなってから改めて自分の弱点を見ると、
「あれ、克服するのはひどく大変だしできそうにないと思って怖がっていたけど、そうでもない。できそうだ」
と思えるものなんです。
さっきすがすがしさが生まれると言いましたが、それはこういった自負・自信・気づき・できるという希望を得たときのすがすがしさです。
「弱点を認めるのは、自分を弱い人間だと認めること」
という思い込みから解放され、
「弱点を認めるのは、強くなるということ」
というのが、理屈ではなく心で感じられたとき、人は変われます。
自分に対して心から、
「これは許可できない点だ、私の弱点である。
でも、私自身が弱いとかダメなわけではない。その弱点は克服できる人間なんだから、やってみよう」
と思える。
「自分を赦す≠自分の行為を許す」
ということを、腹に(潜在意識に)落とし込める。
自分の行為を許さないことで、許さない強さを持つことで、その強さで自分を赦すことができるようになるんです。
こればっかりはやってみないとできるようにならないから、最初は勇気を出してやるしかないんだけど…。
「許せない」はあくまでも行為のみを見て言って
赦す…というのは、なんだか優しい感じのする言葉です。
が、私はある程度「これは許可できないものはできない」という厳しさを持っている人にしか、赦すことはできないと思っています。
なので、
「○○してしまったけど、そんな自分を良いと思おう」
としていても思えないならば逆に、
「私が今回○○したということ、その行為は本当に良くないことだったな」
と思うようにしてみてはいかがでしょうか?
このとき絶対に忘れてほしくないのは、良くないのは「行為」でしかないということです。
新人がミスしたとき、
「ミスしたあなたという人間は、ダメね」
とまで言う必要はありませんよね。
同じように、
「○○した私は、ダメな人間だ」
なんて考える必要はない。
「行為そのもののみ」に限定して、良くない、と言ってみてください。
それができるとひいては、
「しかし、私はまだまだこれから伸びるのだから、これくらいのことは克服できる」
という強さも生まれます。
そしてその強さで、自分を赦せます。
「良くないものは良くない」そう認められたとき、自分を赦せる強さが生まれる。
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