引き寄せの「人を許しましょう」について
今回は、
「相手を許しましょう≠相手を好きになりましょう/相手と仲良くしましょう」
についてです。
これも引き寄せで大切なことは「分ける」ことという記事でちらっと触れたことです。
引き寄せでは「人を許しましょう」と言われることがあり、
「じゃあ、嫌いな人ともがんばって仲良くしなきゃ。
相手の良いところを見つけて、なんとか好きにならないと…」
とか、
「許すだって?なんであんな奴のことを思いやってやらなきゃいけないんだ!」
と思う方もいらっしゃるかと思いますが、そういうわけではないよというお話です。
相手のために不幸でいてしまうこともある
「人を許すのと許さないのと、どっちがいいですか?」
と二択で聞かれたとしたならば、まぁ許すほうがいいかなとは思います。
なぜ許すほうがいいと思うかというと、ごくごく単純に、誰かを憎んでいると自分が辛いからです。
憎い相手のことを考えてイライラしたり泣いたりするのは、辛いですよね。
それから、誰かを憎んでいると、自分が幸せになることよりも相手に復讐することが目的になってしまう場合もあります。
私の経験なのですが、
「母が憎い。幸せになったら、母の育て方が正しかったと認めることになってしまう。
母への復讐のため、当てつけのため、私は不幸でいなければならない」
というふうに思っていた時期があります。
意識の上では「幸せになりたい」と願っていても、潜在意識下では「(復讐のために)不幸でいたい」と願っている状態です。
引き寄せで叶うのは潜在意識で思っていることのほうなので、この場合は「不幸でいたい」のほうが叶ってしまい、不幸が現実化してしまいます。
こういうことがあるので、引き寄せでは人を許しましょうと言われているのだろうと思います。
許すとは、それはそれであると認めること
けれど、相手を許すというのは決して、相手を好きになるとか仲良くなるということではありません。
私の感覚では許すというのは、
「ただ、それはそれであると認める」
という感じです。
たとえばりんごを見て、
「メロンのほうが良いのに、なんでりんごなんだ!
ここにあるのはメロンであるべきだ!」
といくらりんごを憎んでも、りんごがメロンに変わるわけではありません。
変えられないものを変えようとするのをやめ、
「いくらこうあるべきだと叫んでも、りんごはりんごだよね」
と認めると楽になります。
同様に、
「いくらこうあるべきだと叫んでも、あの人はあの人だよな」
と認めることが、許すということではないかと思っています。
「諦める」とか「ありのままを認める」と言い換えてもいいかもしれません。
許すとは、相手を見放すこと
では「りんごはりんごだよなぁ」と許したとして、
「許したのだから、りんごを好きになってりんごを食べ続けないといけない。
メロンを食べてはいけない」
かというと、全然そんなことはありませんよね。
「これはりんご。泣いても喚いてもメロンには変わらないや。
…ということがわかったので、私はこの場を離れてメロンを買いに行こうっと。
だって私、りんごよりメロンのほうがいいんだもん」
と、メロンを手にしようとしても全くもって何の問題ありません。
同様に、
「あの人はあの人。泣いても喚いても別の人格には変わらないや。
…ということがわかったので、私はあの人から離れてもっといい人と付き合おうっと。
だって私、あの人より他の人のほうがいいんだもん」
で何の問題もないし、誰に文句を言われる筋合いもありません。
つい、
「相手を許すだって?なんであんな奴のためを思ってやらなきゃいけないんだ!」
と感じるかもしれませんが、相手を許すというのは相手を思いやってあげることではなく、
「自分自身を『こうあるべき』から解放してあげること」
だと思います。自分のためです。
相手に対して「こうあるべき」という思いがあると、相手が変わることを期待して相手から離れられなくなり、自分が苦しい思いをしつづけることになります。
相手を思いやるのではなく、むしろ逆に相手への思い入れは捨てる。
いい意味で相手を見放す。
そうして相手を見放し、自分の望むもののほうへと向かっていけるようになること。
それが許すということではないかと思います。
相手を許すために、相手を憎もう
そして、そのように相手を許せるようになるためには、まずは「相手を憎む」ということも大切です。
人間っていきなり相手を許すことは難しくて、
①まずは「あの人はこうあるべきなのに!なんでそうじゃないの!」と徹底的に相手を憎む
↓
②そのうち「まぁでも、どれだけそう言ってても無理だわ」と諦めがつく(許せる)
の2段階だと思います。
「憎むなんていけないことだ」と憎しみを抑えてしまうと、その抑えられた憎しみはいつまでも昇華されることなくくすぶり続け、ずっと許す段階に入れなくなります。
憎い、許せないと思う相手がいるならば、まずはその相手をしっかりと憎んだり、悲しんだりしてください。
許すことより憎むことを大切にしたほうが、結果的に許す日は早く来ると思います。
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「相手を許すと良い引き寄せが起きる」について
今回は「自分を許す」ということについてです。
その前にまず、前回の「他人を許す」というお話についてもうちょっと詳しく話そうと思います。
「許す」と「赦す」を分けて考える
まず、「許す」と「赦す」を明確に分けて考えてみてほしいです。
許すというのは、なにかを許可すること。
赦すというのは、憎しみ・恨みを手放すことです。
引き寄せでよく言われる「他人を許しなさい」というのは「赦し」のほうですね。
(ふだんあんまり赦すって漢字は使わないので、許すって表記されてますけど)
たとえば、会社で部下がミスをしてしまった、というとき。
○許す→「ミスしちゃったの、別にいいよー。これからもミスしてもしょうがないよ」とミス自体をしてもよいものと許可する
○赦す→ミスはしてはいけないことなのでミス自体は許可しない。ただ、ミスしたからといってその相手を憎んだりしない
という違いです。
多くの人が「他人を許す」というときに、「許可」のほうを与えようとしているように思えます。
「まだ新人だからミスしてもしょうがないと思おう…」
「きっと悪気があってやったわけじゃないし、ミスしたからって怒っちゃだめ…」
とか、ミスしたこと自体を「してもよかった・しょうがなかった」と許可しようとしだす。
「新人はミスしやすい」
「悪意がなくてもうっかりしてしまうことがある」
これは確かに仕方のないことですから、そこは認めて許可すると良い部分だと思います。
でも、
「あなたがミスしやすい状態にあることは許す。しかし、ミスをしたことそのものは許可できない」
と、明確に分けて考えてミスに対策を打たないと、ミスがなくならないですよね。
ここで、
「あなたはミスしやすい状態にあることを許す、ひいては、ミスしたことそのものも許可する」
だと部下は伸びないし、自分も困るままなのですが、多くの人がこれをやっちゃってるように思います。
「相手を認めること=相手のすることを認めること」
みたいにつなげて考えている人が多いように感じるんですが、
「相手を認めるが、しかし相手のした『ある特定の行為』に関しては認めない」
という線引きができないとなにかがおかしくなっていってしまう。
悪口を「許す」必要はない
悪口を言われたとき、
「中には悪口を言う人もいる」
というのはしょうがない部分だし、認められると良いことだとは思いますが、
「中には悪口を言う人もいるので、この人がそういう人であることは認める。
しかし、『悪口を言うという行為そのもの』は私は嫌いだし、許可できない」
と明確に分けて考えたほうがいいと思うんです。
そこを分けて考えてしっかり意識できると、悪口に対して、
「私は許さない、屈しない」
と毅然としていられるし、同時に、
「でも、相手がそういう人間であることはしょうがないよね」
と相手のことは認めているので、
「悪口を言う相手をどうしてやろうか?」
なんて考えに取りつかれることもない。
毅然として、かつ穏やかでいられる。なので人間関係がうまくいく。
でも、
「中には悪口を言う人もいるので、この人がそういう人であることは認める。
ひいては、悪口を言われてもその行為を許可しましょう」
というふうに…「相手を認める=相手の行為を認める」と考えていると、どうしても心の底で、
「なんで悪口言われたことなんて許さなきゃいけないの」
という納得できない気持ちが生まれて許せない。
相手の行為が許せないということは、それとイコールでつながっている「相手そのもの」も許せない。
こうなると、
「アイツをどうしてやろうか」
「どうしても頭から離れない、謝ってくれないと気が済まない」
なんて、悪口を言う相手をどうにかしようと躍起になってしまったりもする。
これが相手への恨みを潜在意識下に抱えたままの状態、赦せない状態。
ときには「許さない」と決意することも大切
私は、
「相手を赦せない」
っていうのは、
「相手を認める=相手のしたことを認める」
と、2つをイコールで結びつけて考えているから起こることなんじゃないかと思います。
相手を赦すということをするためには、ときには、
「それは許可できない、私は受け入れない」
と、断固なにかを「許さない」と決意することも大切だと思います。
そうして、嫌なものは嫌だと認めて嫌なものからは距離を置かないと、
自分の人生はずっと嫌なものがある状態のまま変わらなくなる。
ずっと嫌なものが近くにあるなんて状態では、相手を赦そうなんて心の余裕も持てなくなる。
引き寄せは「相手を赦す」ということはすすめているけれど、
「相手のした行為をなんでもかんでも許可しなさい」
とはすすめていないです。
「相手を認める≠相手の行為を認める」
「相手を赦す≠相手の行為を許す」
です。
ノットイコール。2つは別のものだと覚えておいてほしいなと思います。
相手の行為を許さなくても、相手を赦すことはできます。
イコールでつなげず分けて考えると、うまくいきます。
できない自分が許せない…という心理はどんなもの?
ではでは、自分を許すということについて。
この場合も、よく使われる漢字は「許す」のほうだけど本来は「赦す」を意味していますよね。
自分自身への憎しみ、自責の念を捨てることを指しています。
この「自分を赦す」ということがどうしてもできません…という人は、
自分でも気づかないうちになんとなく潜在意識下で、
「相手を認める=相手のしたことを認める」
というのと同じように、
「自分を認める=自分のしたことを認める」
と2つをイコールでつなげて考えてしまっているから自分を認められない・自分を赦せない…となるんじゃないか?と思います。
さっきの新人のミスだと、
「ミスしたのはしょうがないよ」
とミス自体をしてよかったこととしてしまうと、その後その人は伸びない。
「あなたがミスしやすい状態だったのは認めるしそこは責めないけれど、ミスしたことそのものを『OKだよ』とは許可できないから改善を」
としないと今後につながらないですよね。
全く同じように、自分がなにかをしたときに、
「しでかしてしまったことそのもの」
を許可しようとすると、自分が伸びなくなるのですが、それをしようとしている人が多いように感じます。
勉強しようと思ったのにダラダラとテレビを見てしまった、というとき。
「それをしてもいいんだよ、してもしょうがなかったんだよ、そんな自分を認めよう」
と、その行為も含めて良しとしよう、みたいな感じ。
その行為を許すのは良くないと潜在意識下で気づいている
ですが、その行為は…してもよい、ということにして良いのか?と。
「ダラダラとテレビを見る自分を認める」
ということをしてしまうと、ではテレビを見ていていいことになるし、勉強できる自分になれない。
これは単に自分を甘やかしているだけ。
そして、ほとんどの人は、
「これって単に自分を甘やかしてるだけなんじゃないの?」
「こんなことしてて、本当に自分は良くなれるの?」
ということに、心の底の底では気づいている。
ミスした新人を甘やかしても伸びていかないことはみんなわかっているのと同じように、
ダラダラした自分を甘やかしても自分が伸びていかないことは本当はみんな、すでに知っている。
だから潜在意識下で、自分でも気づかないうちに「それおかしくない?」というストップがかかり、
「自分を赦そうと思っても赦せません」
となる。
許さない強さを持つことで赦せる
こういうときには勇気を出して、
「私の、ここが良くないのだ」
と、自分のした行為を否定してみると良いと思います。
それは怖いことかもしれません。
自分のした行為が良くないことと認め、改善しなきゃいけなくなるのは、とても面倒だし恐ろしいことのように思えますよね。
でも、自分の行為を「許可できない」と自分で言えたときには、ある種のすがすがしさが生まれることに気づくと思います。
「自分を認める=自分のしたことを認める」
こう考えている人は、自分の改善点を認めたがりません。
自分のしたことを良くないことと認めるということは、それすなわち、自分が良くない人間だと認める、ということだと思っているからです。
自分をダメな人間だと思いたくない…。
そういう潜在意識下の思いが強い人ほど、自分のした行為を「良くなかった」と認められなくなります。
「良くない」と言う勇気を持てたとき、そんな自分を好きになれる
でもこれ、うーん、こればっかりはやってみないとわからないことなので言葉で説明しても実感はできないと思いますが、
思い切って、自分のした行為を良くなかった、と心底から認めたとき、
「私は成長した」
という自負が生まれるものなんです。
認めるのが怖くて逃げ回っていたものと対峙したのですから、そのとき人って確実に、
「私は、逃げるのをやめて立ち向かった」
「今までよりも強くなった」
という自信が湧くものなんです。
すると、
「あぁ、自分の弱点や改善点を認めるということは、自分をダメだと認めることではなくて、強くなるということなのだ」
と気づきます。
そうしてひとまわり強くなってから改めて自分の弱点を見ると、
「あれ、克服するのはひどく大変だしできそうにないと思って怖がっていたけど、そうでもない。できそうだ」
と思えるものなんです。
さっきすがすがしさが生まれると言いましたが、それはこういった自負・自信・気づき・できるという希望を得たときのすがすがしさです。
「弱点を認めるのは、自分を弱い人間だと認めること」
という思い込みから解放され、
「弱点を認めるのは、強くなるということ」
というのが、理屈ではなく心で感じられたとき、人は変われます。
自分に対して心から、
「これは許可できない点だ、私の弱点である。
でも、私自身が弱いとかダメなわけではない。その弱点は克服できる人間なんだから、やってみよう」
と思える。
「自分を赦す≠自分の行為を許す」
ということを、腹に(潜在意識に)落とし込める。
自分の行為を許さないことで、許さない強さを持つことで、その強さで自分を赦すことができるようになるんです。
こればっかりはやってみないとできるようにならないから、最初は勇気を出してやるしかないんだけど…。
「許せない」はあくまでも行為のみを見て言って
赦す…というのは、なんだか優しい感じのする言葉です。
が、私はある程度「これは許可できないものはできない」という厳しさを持っている人にしか、赦すことはできないと思っています。
なので、
「○○してしまったけど、そんな自分を良いと思おう」
としていても思えないならば逆に、
「私が今回○○したということ、その行為は本当に良くないことだったな」
と思うようにしてみてはいかがでしょうか?
このとき絶対に忘れてほしくないのは、良くないのは「行為」でしかないということです。
新人がミスしたとき、
「ミスしたあなたという人間は、ダメね」
とまで言う必要はありませんよね。
同じように、
「○○した私は、ダメな人間だ」
なんて考える必要はない。
「行為そのもののみ」に限定して、良くない、と言ってみてください。
それができるとひいては、
「しかし、私はまだまだこれから伸びるのだから、これくらいのことは克服できる」
という強さも生まれます。
そしてその強さで、自分を赦せます。
「良くないものは良くない」そう認められたとき、自分を赦せる強さが生まれる。
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引き寄せの法則で「相手を許すことで豊かになる・幸せになる」というのは本当か
今回は、許しに関してのお話です。
よく引き寄せでは、相手や自分を許すと幸せになれると言いますよね。
これは本当か?というと、本当だとは思います。
なぜか?というと…。
人って何か被害を被ったと感じたときついつい、
「あの人のせいで、私は不幸になった」
と考えます。
そして相手に謝罪や反省など、態度を改めることを求めます。
「あの人が変わってくれれば、私の気が済む、私は幸せになれる」
と思って。
これって、自分の幸不幸は相手の意志・行動に委ねられているということ。
幸せになるためには、その相手が必要になってきます。
あの人のせいで不幸になった…ということは、ひいては、
「私は、あの人なしでは幸せになれない」
と認めたということ。
なので、憎い相手から離れないでいる人もたくさんいます。
私自身もそうだったのですが、
「親のせいでこうなった」
とひどく憎みながらも、ずっと同居していました。
はたから見れば、
「そんなに嫌いなら家を出れば?」
と思うかもしれませんが、家を出て相手から離れてしまうと、
相手を変えようとする機会・反省や謝罪をしてもらう機会を失う
↓
相手が態度を改めることで自分が幸せになれる機会を失う
ということですから、憎くて仕方がないのに離れるわけにはいかない、となります。
「憎い相手に変わってもらう」という方法以外で、どうやって幸せになればいいのかわからないと、こうなります。
こうして、嫌いなはずの相手から離れられないでいる人もたくさんいます。
不思議ですね、そこまで憎んでいるのに、その人なしでは幸せになれないなんて。
そこまで憎んでいるのに、その人が誰よりも必要だなんて。
そんなおかしな状態を作り上げてしまうのが、
「あの人のせいでこうなった」
という思考です。
誰かを憎んでいない人は、そういうことはない。
自分が幸せになるかどうかを自分で決められる。
自分の幸せを自分で決定できる人と、
自分が幸せになれるかどうかが他者にかかっていて、その人がいないと幸せになれない人。
これはやはり、前者のほうがより幸せになれますね。
憎しみを手放し許すことで、
「憎い相手に頼ることなく幸せになれる」
という段階にいけますので、やはり許すことで許していないときより幸せになれるというのは本当のことだろうとは思います。
許したいけど許せないのは、心理下に「許すと不幸になる」という思いがあるから
こういったことは、引き寄せについて読んだりしたことのある人ならもう知っているかもしれません。
それで多くの人が、
「では、幸せになるために相手を許そう」
と思いはじめます。
それ自体は悪いことではないのですが、許そうと思ってハイそうしましょと許せるものではなく、許したいのに許せないと苦しむ人も出てきます。
では、なぜ許せないのか?
なぜかというと上で書いた、
「その人が態度を改めてくれないと幸せになれない」
という考えと、
「幸せになるために許そう」
という考えは対立するし、前者が勝ってしまうからですね。
「相手が態度を改めてくれれば→私は幸せになれる」
というのは、
「相手を許せば相手は態度を改めなくなる→私は幸せになれなくなる」
ことを意味しますので、心の奥深くでは、
「相手を許せば自分の不幸が決定する」
と思っている。
心底でそう思っているときに、どれほどネットとか本とかで、
「相手を許すことで自分は幸せになれる」
という言葉を聞いてそうしようとしてみても、心の奥底の強い思考、
「許せば私は幸せになれない」
のほうが勝つので、許せない。
自分が幸せになりたいと望む限り、相手を許すことはできなくなります。
これは、自身がそう思っているのだなぁということが自覚できると変われると思うのですが、
なかなかその自覚が持てない人も多いように思います。
意識の上では、「あんな奴死ねばいいのに」とか思っているし、ものすごく必要のない相手に思えるんですよね。
いなくなっても構わないと強く思っています、顕在意識上では。
よもや自分が心の底では「どうか幸せにして!」と相手にすがっている状態だなんて思いもよらないという人が多いし、
薄々そのことに気づいていても、
「あんな奴に私が頼っているだと!?絶対私はあんなヤツ、必要なんかじゃないもんね!!」
なんて気持ちがあって、自分が相手を必要としているということをうまく認められない人もいる。
まっすぐに、
「私は、あの人を必要としているのだ」
ということを見つめれば、そこから、
「いいや、そんな生き方は嫌だ!!」
という確固たる決意が生まれて生き方を変えられるのですが、
その自覚が曖昧なので、ひいてはその自覚から生まれる「嫌だ!変わろう!」という決意も曖昧なままになります。
変わろうという意志が曖昧なままならば、変われません。
しかしそういうことに自分で気づいていない状態だと、表面的には、
「なぜ変わるために(幸せになるために)こんなにも許そうと思っているのに、許せないのだろう?」
となります。
許すのが大事、感謝するのが大事と思い、人に舐められていく人もいる
あと、必死に許そう許そうとしている人の許し方って、
なにかちょっと違っちゃってるんじゃないかな?と感じることもよくあります。
「寛容な心を持てば、相手のことを許せる心があれば、自分は憎しみにさいなまれて辛い思いをしなくてすむ」
「だから、相手のすることを許せるようになろう」
…ということ自体は間違っていないと思うんですけど、なんか許し方がヘン?と思うことがあるんですね。
たとえば…、相手にひどい扱いを受けても、
「こんなことで怒っちゃいけないわ」
とか、
「相手はきっと私のためを思ってやってくれたのだわ、感謝しなきゃ」
とか思ってる人がいます。
なんというか、相手が何をしてきても腹を立てまい、感謝しよう、というスタンスの人。
「それのどこがいけないの?」
って思うかもしれないんだけど…私はこれ、許すことと赦すことの区別がついてないんじゃないかしら?と思えるんです。
○許す…なにかを許可すること
○赦す…怒りや恨みを手放すこと
です。
うーんと、例えば、あなたにお子さんがいてどっかで万引きしてきたとします。
○許す→「あら盗んだの、いいのよ~、欲しかったんだからしょうがないよね」と盗んだことを許可する
○赦す→盗みをしたこと自体は許可せずしっかり戒める。しかし、盗んだことで子を憎むわけではない
あるいは、あなたがいじめられたとする。
○許す→「いじめてもいいよ、怒らないでニコニコしてます」といじめという行為を許可する
○赦す→いじめ自体は許可しない。しかし、いじめられたときの憎しみは乗り越えて手放す
みたいな違いです。
許そうとしても許せないって人は、許可のほうの「許す」をしようとしてるように見えます。
「過去に私をいじめた人を許そうと思ってもどうしても許せません」
という人がいたりしますけど、そういう人って「いじめ」という行為自体を、してもよかったんだよと許可しようとしてるんじゃないのか?と。
でも、そこは許可するところではない。
相手にも事情があったかもしれないけど、いじめていいわけではない。
相手にも事情があったかもしれないから、いじめられてもしょうがなかったと思おう…とか、
相手の行為に許可を与えようとするから、できない…となるんじゃないかな。
別にそれはできなくていいと思うんですね。
そこを許可したら、人からなめられるようになっていくだけだと思います、
相手が間違っていても何も言わない、ひどいことされても何も言わない人間になるってことですから。
それはなんか違うだろうと自分でもなんとな~く感じていて、だから許そうとしても許せない。
でも、自分のしていること(許そうとすること)は良いこと、すべきことのはずだ…と意識の上では感じるので、
「すべき良きことをできない私は未熟なのでは?」
と思ってしまう。
いや、別に未熟ではない。
そこは許可しなくていいところです。
許可してなめられていく人もいるけど、なめられても幸せになれるわけではない。
相手を赦すためには、相手を許さないこともときには大切
私がはっきり意識してほしいな~って思うのは、
「許さなくても赦すことはできる」
というところです。
子が盗みを働いたとき、盗みを許さなくても子を赦すことはできますよね。
というかむしろこういうときは、赦しは必要でも許しはいらない、すべきではないと思います。
「盗んじゃったのね~、でも許すわよ~」
だとどうかな、それだと相手との良い関係は築けないんじゃないかな。
同じように、いじめを受けたとか、虐待されたとか、こっぴどくふられたとか、裏切られたとか、
そういうときに、「いじめ・虐待・酷い扱い・裏切り」そのものをしてもよきことと許可する必要はない。
それをしてもよいこととしてしまったら、なめられて、同じようなことする人に狙われるよ。
そういうことする人って、そういうことを許してくれる人を見抜くのがうまいから。
そうではなく、
「私はそういう行いは絶対に許さない、許可しない」
と、むしろ許すものか!と毅然としたほうがいいと思います。
私はそういうことが嫌いなのだ、許せないのだ、と、断固許すまいとする。
それは、自分の意志を持つことです。
私はこれが好きだけどあれは嫌いとか、
私はここまでは許すがこれ以上は許さないとかをはっきりさせるということは、
自分の人生を生きる上で、
「自分の意志でなにが良いか悪いかを決め、自分で良い方を選んでいこう。自分で悪いものは遠ざけよう」
という意志を持つことです。
なまじその意志を封印して許可を与えようと思うから、相手のことを許せないままになってしまい、心理的な縁が切れない。
絶対にそんなことは許可できないと心の底から拒否すれば、相手とは一線を引いたということなので、相手から心が離れられる。
それは、憎んでいる相手に幸せにしてもらおう…という依存的な状態から脱すること。
自立をすること。
自分の力で幸せになろうという強さを持つということ。
自分の力で幸せになろうという強さがある人は、幸せになれる。
そして幸せになるほどに、恨みは消えて赦しに近づきます。
人を許さなくても赦すことはできる。
あなたが許可したくないものはしなくても、幸せになれる。
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