幸せになれないことを求めてはいないか?
今回は、
「引き寄せで幸せになりたいと思って実践しはじめたのに何も変わらない…。
どうして私は幸せになれないの?」
と思っている方へのお話です。
「幸せになるわけにはいかない」という思考
どうしてか、幸せになりたいのになれない。
これがなぜかというと、
「本当はそんなに、幸せになりたいと思っていないから」
です。
思考が現実になる法則なので、本当に幸せになるんだ!と思考しているのであれば、なれるはず。
そうはならない…というのは、やっぱりこれは「そうは思考していない」ことが原因。
「…そうかな…?私、本当に本当に幸せになりたいと思ってるはずだけど…」
と思う方もいるかもしれません。
でも、もしかしてあなたの心の中には、こんな気持ちがありませんか?
「幸せになったら、他者から憐れんでもらえない」
「不幸でいることをやめたら、あの人を許したことになる」
という気持ち。
これは私にも経験があります。
私は長年、
「母から虐待を受けたせいで私は不幸になった。悪いのは母だ」
と思っていました。
そして、その考えを誰かに肯定してもらいたかったです。
自分が不幸でいる間は、周りは、
「悪いのはあなたの母よ、かわいそうに」
ときっと言ってくれる。
でも不幸でいることをやめたら、私は周りから憐れんでもらえなくなる。
幸せになってしまったら、母のせいでこうなったと母を責められなくなる。
私は母がどれだけ悪い人間かを主張したい、証明したい。
そのためには、不幸でいなければならない…。
これってつまり根底では、
「(あの人を責めるためには)幸せになるわけにはいかない」
と思考しているということ。
なので幸せになれない。
どうでしょう?
じーっと自分の心の内側を見つめたとき、
「あぁ…。…確かに、私は人からかわいそうにって言ってもらいたいっていう気持ちがあるなぁ」
というふうに、思い当たることがあるのではないでしょうか。
だとしたら、幸せになれない原因はそこにあると思います。
幸せになれるために、まずその気持ちを認めて
もしあるのならば、
「ああ、私は憐れまれたいと望んでいるのだなあ」
と認めてほしいなと思います。
ここでつい、
「ふん、私、そんなこと思うような未熟な人間じゃないですけど?」
とつい意地を張っちゃう人もいるかもしれないけれど、
私は特に、憐れまれたいと思うのは未熟なことでもなんでもないと思うんです。
だって、楽しいことでも嫌なことでも、
自分が何かを感じたときって人に共感してほしいものじゃないでしょうか。
こんな楽しいことがあったよ!と言って、
それは良かったねー!と返ってくれば嬉しいから返ってきてほしい。
こんな辛いことがあった…と話して、それは辛かったね…と返ってくれば、
癒されるような気持ちがしますよね、だからそう返ってきてほしい。
そうして、
「自分の感じたことに共感してほしい」
と感じるのは、すっごく人として自然なことで、未熟だなんてことは全然ないと思います。
なので、心の中に「憐れまれたい」って気持ちがあるなら、
「そうそう、だって、共感ってしてほしいものじゃない。
自然な心理として私だってそう思うよ?」
と胸を張って認めてほしいです。
人が納得するさまを見て自分が納得したい
ただ、
「共感してほしいな、してもらえたら嬉しいな」
というだけならとても自然なんだけど、
「共感してもらわねば気が済まない」
くらい強い思いになっているとしたら…そこまでいくとさっき話した、
「幸せになってしまったら共感してもらえなくなる(憐れんでもらえなくなる)」
になっちゃって、自分が幸せになれないです。
でも、どうしてそもそも「共感してもらえたら嬉しいな」が、
「共感してもらえないと納得できない」みたいに強くなっちゃうんでしょう?
私、そこまで強く思うのは、
「本当はそこまで自分のことをかわいそうだと思っていないから」
だと思うんです。
え、どういうこと…?と思ったかもしれないけど、うーん、例えば…。
やたら自分の意見を押し付けてくる人っていますよね?
「そう思っているのはわかったけど、誰もがあなたと同じ考えじゃないから…」
とこっちとしては言いたいけど、向こうはこっちが「そうだね」と自分の意見に納得するまで譲る気はない!みたいな人。
これ、なんでここまで必死に自分の意見を押し通そうとするかというと、
「本当は自分の言っていることが正しいという自信がないから」
なんですね。
本当に心の底から自分の意見に自信を持っているというとき、
人は誰かから「それは違うよ」と言われても、そんなに動じないものなんです。
「いろんな意見の人がいるから、中には違うと思う人もいるだろうけど、私にとってはそうなんだよ」
と自信を持っているので揺るがない。
(これは「ふん、絶対に私の方が正しいもんね!」と意固地になってるのとは違います。
相手にも相手の意見があるのだなと相手を尊重したうえで、「私はそうは思わないな」と自信を持って思える、という意味です)
けれど自信がないと「私はそうは思わない」と言われたときにひどく動揺してしまう。
ついつい「なんで、どうして?だってこうだし、ああだし…」と相手を説得にかかる。
そうして相手が「そうだね」と言うと、そこでやっと安心する。
自分ひとりでは自分の考え方に自信が持てない、納得ができないので、
他者が納得するさまを通じて、自分を納得させたいという心理が働くため、ついムキになってしまいます。
自分が安心するために他者の同意が必要なので、
「共感してもらわないと気が済まない」
となっちゃうんですね。
同じように、
「幸せになってしまったら、憐れんでもらえなくなる」
…つまり、憐れんでもらえないと気が済まない、というほどに、
他者から「かわいそうね」という同意を求めているというとき、
そのように他者を通じてしか自分がかわいそうだと納得できない、というとき、
それはあなたが心の底からは「私はかわいそう」という自分の意見に自信を持てていないからじゃないかと思います。
私はかわいそうだ、という自分の意見に自信を持って
私はあの人のせいでこうなった、と思うとき、どこか心の別の部分で、
「でもそうやって人のせいにするの良くないよね」
「でももっと辛い思いしてる人って世の中にいっぱいいるし…」
「人が幸せになるためには誰かを恨んではいけないんだ、私のしていることは悪いことだ」
とか自分の恨みにブレーキをかけたり、
「こうして人のせいにしていることを、他者から非難されたらどうしよう」
「誰もが同情してくれるわけじゃないかもしんない…」
とか心配したり、していないでしょうか。
これは、確固とした「私はかわいそう」という信念がない状態。
いま、
「え。でも…自分はかわいそうだなんてことに確信を持っていいの?」
と思った方は、自分をかわいそうだと思い切れていない人。
「そう思うのは悪いことだ」
という観念が、私はかわいそうという本心を邪魔している。
なので心の底から自分の感じたいこと「私はかわいそう」を感じ切れない。
自分では感じ切れないから、他者の手を借り感じさせてもらおうとするところから抜け出せない。
「憐れんでもらいたい」
この思いを手放し、幸せになるためには私は、
「誰に何と言われようが、私はかわいそうなのだ」
と認めることが大事なんじゃないかなと思うんです。
たとえば映画を見てあなたがそれを面白いと感じたなら、
それは誰が「あの映画クソだ」とこき下ろそうが、
「でも、私は面白いと思ったよ」
と思うのはなにも悪いことじゃないのと同じ。
誰があなたをかわいそうじゃないと言っても、
「でも、私はかわいそうだと思うよ」
と、徹底的に自分の意見を尊重してあげてほしいんです。
おかしな言い方だと思うかもしれないけれど、
あなたにはもっともっと、自分はかわいそうという意見に自信を持ってほしい。
徹底的に、自分で自分に共感してほしい。
心の底から自分を憐れんでほしい。
納得がいくまで私はかわいそうという思いを感じてほしい。
絶対にそうなのだ、と強く確信を持ってほしい。
するとそこから「幸せになろう」という思考が生まれる
昨日の記事で、
「しっかりと『私は自分が嫌いだ』と認めると、
嫌いだという事実を見て見ぬふりしていたときよりも、結果的に自分を好きになる」
というお話をしたのですが、今回も同じ。
しっかりと『私はかわいそうだ』と認めるとそこから、
「もう『私はかわいそう』ということに満足がいった」
と思うときがきます。
「そう?本当に満足が行く日なんて来るの?」
って思うかもしれないけれど、来ますよ。
大丈夫です、来ます。
これなんでかっていうと…、やっぱり人っていつまでも自分のことをかわいそうとは思っていられないものなんですね。
どうしたって「幸せになりたい」という本能のほうが勝つので、
「もうそろそろ『かわいそう』はいいわ」
となる。
かわいそう、ということに「飽きてくる」っていうかんじでしょうか。
飽きと感じるのは私の個人的な感覚でそういうふうには感じない人もいるかもしれないけど、
私としては「飽きる」って表現が近いかなと思います。
好きなものが食べられないとずっとそれを食べたい食べたいと思い続けちゃうけど、
毎日それを食べていると、
「もう飽きたわ」
「体のために他のものも食べたいわい」
みたいに絶対なりますよね。
それと似てるというか、もうほとほと「かわいそう」には飽きたので、そろそろ幸せになろうか、となるんです。
つまり、もう自分がかわいそうということを「他者に肯定してもらいたい」という思いが消える。
「不幸でいることで相手に悪いと認めさせたい」
という思いが消える。
自分ひとりで、
「自分は不幸だ、相手が間違っているのだ」
と感じることができるようになったのだから、もう他者の助けはいらなくなる。
そこから、
「もう満足した。そろそろ幸せになろう」
というところに思考が移る。
それが本当の「幸せになりたい」という思考。
憐れんでほしい、不幸でいたい、そういう思考が混ざっていない純粋な、幸せを望む思考。
この思考は現実になります。
それが引き寄せですから、必ず幸せになれます。
幸せになるためにまず、「私はかわいそうなのだ」と自分で認めてあげて。
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