
自愛って、本当に効果はあるの?
今回は「自愛」の効果についてです。
引き寄せではよく自愛がいいよ、効果があるよ、と言われますので、
「やってみようかなー、でもなぁ…本当に効果あるのかな…?」
と思っている方も多いのではないでしょうか?
そこでこの記事では、
①自愛とは何か?
②自愛に引き寄せの効果があるのはなぜか?
③自愛を実践する際に、心に留めておいてほしいこと
この3点について詳しくお話していきます。
効果の前に、まず自愛とは何か?について
「私は自愛なんて初めて聞いたよー」
という方もいらっしゃるかもしれませんので、まずは効果について話す前に、
「①自愛とは何か?」
についてです。
すでに知っている方も、おさらいのつもりで読んでみてください(*´ω`)
自愛とは、
「ただただひたすら、自分を許していく」
というものです。
たとえば、
「今日は仕事がうまくできなかった…」
と思ったら、
「そうだね、それでもいいよ」
と自分を許す。
そうすると、
「なんでうまくできなくてもいいねん!ダメに決まっとるわー!!」
という思考が浮かんでくるかもしれませんが、ここでまた、
「うん、ダメに決まっとるわー!と思っても、いいよ」
と、自分を許します。
また何か別の思考が出てくるかもしれませんが、それも「いいよー」と許す。
えんえんこの繰り返しです。
これを「自愛」と呼びます。
でもこれだけを聞くと、
「ただ『いいよ~』って…。そんなのに本当に引き寄せの効果なんてあるのか…?」
と思いたくもなっちゃいますよね(;^ω^)
ただただ許し続ける、自愛の効果とは?
では、この「ただ延々と許す」というだけの自愛に、
なぜ良いことを引き寄せる効果があるのか?についての説明です。
まず、人間が自分をダメだ…と責めてしまうのは、
「『こうあるべきだ』という観念に、自分が従えなかったとき」
です。
たとえば、
「人はいついかなるときでも努力すべきである」
という観念があったとします。
これだと、ちゃんと努力できたときには「やったぞ!」と思いますが、努力できなかったときには、
「すべきことをしなかった私は、ダメだ…」
と罪悪感を感じますよね。
では、このような罪悪感を感じないためにはどうすればいいのか?というと、方法は2つです。
①「こうすべき」という観念に常に従い続ける
②「こうすべき」という観念から自由になる
このどちらかです。
うーん、①は辛そうだし、なんとなく②のほうが良さげですね。
自愛の効果とは「観念からの解放」である
では、②ができるようになるためにはどうすればいいのか?というと、自愛をすると②をしたことになります。
「(〇〇すべきなのにそうできなかった)私はダメだ!」
「(□□すべきなのにそうする手段がわからず)どうすればいいのだろう…?」
と思う自分に対して、
「それでもいいんだよー」
と許す、ということは、
「別に○○すべきってこともないじゃない、その観念に従わなくてもいいんだよー」
と、観念から自由になろうとすることと同じです。
自分が苦しくなるような思考が出るたびに「いいよ~」と自愛していくことで、
自分の持っているさまざまな「こうすべき」という観念から、どんどん自由になっていく…という効果があります。
そうして「こうすべき」から自由になると人は、
「私は、これでいいんだな。今のままでいいんだ」
と感じます。
これまでになかった自己肯定感や安心感、前向きさを持つようになるので、
これまでは、「どうせ無理に決まってる」と思っていたことに対しても、
「いや、できるさ。信じよう」
となっていきます。
そうすると潜在意識は、その人が抱いている自己肯定感、安心感、前向きさに見合った現実を作ろうとしますよね。
本人が「できる」と信じている以上、信じていることを現実化するのがお仕事の潜在意識は、必ず「できる現実」を作ります。
このような理由から、引き寄せでは「自愛に効果がある」と言われています。
自愛の効果をより早く出すためには?
ではでは次に、
「③自愛を実践する際に、心に留めておいてほしいこと」
とは何か?というと、
「自愛をするということは、自分を好きになろうとすることではない」
ということです。
自愛がうまくいかない、効果を感じられないという方のお話を聞くと、かなり多くの方が、
「自愛をしても、自分を好きだとか愛しいとか全然思えないんです…どうすれば…?」
と言います。
つまり、
「自分を愛しいと感じなければならない」
という観念をもってして自愛を行い、しかしその観念に従えないので悩んでいる、ということです。
しかし、「自分を愛しいと感じなければいけない」という観念に従おうとするのは、
①「こうすべき」という観念に常に従い続ける
②「こうすべき」という観念から自由になる
↑これの①をやろうとしている、ということですね。
自愛は②ですから、①をやっても効果が出なくなってしまいます。
でも、自分ではちゃんと②をやっているつもりなので、
「なんで自愛してるのに、効果ないんだろう?」
となってしまいます。
自愛というのは、
「自分を愛しいと思えるようになりましょう」
ではなくて、
「自分を愛しいと思わねばならないという観念から、自由になりましょう」
というものです。
なので、
「自分を愛しいと感じなくても、いいよ」
と自分を許します。
一度や二度では効果は感じないかもしれませんが、淡々とこうして許し続けていってください。
そうしていくことで、その観念から自由になれます。
矛盾したことを言っているように聞こえるかもしれませんが、
そうして「自分を愛するべきだ」という観念から解放され、
「あぁ、私は自分を愛さなくていいのだな」
と心から思えたときが、心から自分を愛せたときですよ(*´ω`*)
自愛の効果はあくまで「観念からの解放」
自愛には効果があるとよく言われますし、私もいまそう言っているわけですが、
「自愛には効果がある」
というこの言葉は、
「自分を好きになる効果がある」
という意味にとらえるよりは、
「観念から自由になる効果がある」
という意味にとらえてみてください。
観念から自由になれれば自分を好きだと思えるようになりますから、
別に「自分を好きになる効果がある」と表現しても間違いではないのですが、最初っから、
「よし、自分を好きになるぞ!自愛でそういう効果を得るぞ!」
というふうには考えないほうがいいかな?と思います。
そう考えることで行き詰ってしまう方が多くいらっしゃいますので、自愛の際にはぜひ、
「自分を好きだと、感じなくてもいいのだ」
ということを忘れないようにしてみてくださいね。
そのほうが結果的に、自分を好きになるのも、現実が変わるのも早いですから(*^^)v
自愛について、より詳しく解説したnote記事の販売も行っております。
☆そもそも、いま現実がうまくいっていない理由
☆自分を許す・愛するとはどういうことなのか
☆自愛に関する誤解や、うまくいかないときに気づかずにしてしまっていること8点
☆自愛のやり方2種類と、それをやるときのポイント
☆自愛に関するQ&A
についてまとめた記事です。
興味のある方は以下からご覧くださいませ。

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別の領域に行くって何?どこにあるの?
今回は「別の領域」についてのお話です。
潜在意識について調べていて、
「エゴから抜けて別の領域に行く」
「別の領域は満たされている」
みたいな話を読んだことのある方もいるかもしれません。
でも、
「別の領域ってどこのこと?どうやって行くの?わからないんですけど…」
という方に向けて私なりにお話していきます。
別の領域を「すごい何か」だと思うとわからない…となるかも
ちょっと昨日の記事の内容とかぶっちゃうんですが、人ってついつい、
「不安だ!不安だ不安だどうしよう…」
「わ、私なんて私なんて…うう…」
とかとか、いろいろな感情や思考に支配されてしまった状態によくなっちゃいます。
この「感情や思考に呑み込まれている状態」のことを「エゴの世界にいる」状態だと思ってください。
でも人ってちょっと意識して冷静になると、そうしてエゴの世界にいる自分を客観的に眺めることもできます。
なんというか、一歩引いて自分を見る?ような感じです。
この一歩引いて見ている状態、感情や思考に呑み込まれていない状態が「別の領域にいるとき」です。
意識すれば誰でも、ちょっと引いて自分を見てみる、ということはできると思います。
別に特別な儀式をしないとできないわけじゃないし、特定の時間帯にしかできないわけでもないし、
やろうと思えば今すぐにでもできる(別の領域に行ける)ので、
「別の領域はいつもここにある」とか言われることもあります。
確かに、どっか出かけないといけないわけでもないしここにある領域ですね。
別の領域…とか言われると、なにかすごい領域、非常に仰々しく神々しいものだと思ってしまって、
そんなの自分にはどうやって行けばいいのかわからないよ~となっちゃう方もいるかもしれませんが、
別の領域ってちょこっと行くくらいならけっこう簡単だし地味なことなんじゃないかな~と私は思います。
実はこれまでにだって行ったことのある方は多いんじゃないかと思うんですね、
でも「別の領域とはなにかすごい場所であるはずだ」というエゴのほうの思考が邪魔をして、
自分が別の領域に行ったことに気づいてないだけかもしれません。
思い返すと「あ、あれがそうだったのかな?」と思い当たることもあるかも?
最初のうちはエゴのほうが強いので、一瞬だけ別の領域に行ったと思ったらまたエゴの世界に戻っちゃった~となるかもしれませんが、
これは単なる慣れの問題な気がします、やはり特別なことなんてしなくても、
意識して一歩引いて自分を見ていようと思えば徐々に長くできるようになっていきますし、長く別の領域にいられるようになっていくと思います。
別の領域にいるときの感覚はそれぞれである
この別の領域にいる時の感覚って本当に人それぞれで、ちょこっと調べてみても、
「ハートに意識がある感じ」
「自分を外側から見ている感じ」
「胴体の真ん中に喜んでいるものがいる」
「柱の陰から自分を見ている自分がいる」
とかとか…バラバラですね。
とりあえず、別の領域では不安や心配に支配されるなんてことはないし、
基本的に平穏、安心、安定…みたいな、満たされている感覚がおおもとにあるとは思いますが、
細かい感覚となってくると人によってかなり違いますし、誰かが「○○な感じ」と語っているのを聞いて、
「そうか、別の領域に行けばそのような感覚を味わえるに違いない!!」
とか固定観念を持たないほうがいいかなって思います。
せっかく別の領域に行けてても、
「でも○○な感じがしないから違うんじゃない?」
とか疑ったらエゴの世界に戻っちゃいますし、すっごいアバウトな言い方でなんなんですが、行けばたぶん、なんとなくここが別の領域なんだろうな~ってのはわかると思います。
別の領域に行きたいと焦ったまま別の領域には行けない
中には、
「早くエゴから抜けて別の領域に行きたい!」
「別の領域がどんなものかわからない限り、願いは叶わないんだ!」
と焦って自分を観察しようとする方が出るかもしれませんが、
行きたい!そうしないと叶わない!というのはエゴの思考に呑み込まれている状態なので、
行きたいよー!…と私は焦っているのねぇ、ふぅん…と観察することで別の領域に行ってくださいね。
昨日もお話したんですが、観察は力んで自分を見てやろう!とかいう感じじゃなくて…、なんというか、本当に淡々とやる感じです。
なかなかできない~!とか思っても、そう思っている自分のことも淡々と見て…と繰り返してみてください。
やっているうちに上手になってくると思います。
(あ、あと私が自己観察好きなもので観察してくださいと言ってますが、自己観察しなければ別の領域に行けないというわけじゃないです。
別の方法で行く方もいますので、観察するってのが自分に合わないときは他の方法も試してみてください)
お手軽簡単、いますぐ別の領域に行く方法
ではではここで、お手軽簡単・すぐに別の領域に行けるメソッド「ウサギ目ソッド」をご紹介。
やり方は簡単です。
①『より目』にして目を閉じて下さい。(立体絵、立体視の感覚)
②リラックスして『より目』を維持してみて下さい。
③深い思考や感情が、かなり鈍るのでエゴの出る幕がありません。
④そのまま感覚を味わって下さい。
⑤無理はしないで下さい。
⑥合わなければ、自身に合ったメソッドを探してみて下さいね。
というもの。
人間は眼球の運動が止まると思考の働きが鈍くなる(つまりエゴの働きが弱くなる)というのを利用したやり方ですね。
別の領域なんてわからないよ~という方も、これでなんとなくわかるかもしれないのでやってみてください(*´ω`*)
○エゴの世界→感情や思考に呑み込まれた状態
○別の領域→エゴの世界から出ている状態
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意図をしつづけていられない…という方は?
今回は、自己観察についてです。
先日の記事で、願いは意図で叶うというお話をしました。
ただこれを聞いても、
「ほほー、じゃあ意図してようっと♪」
とスンナリ意図しつづけていられる方はそうそういないんじゃないかと思います。
ほとんどの方は、
「よし、じゃあ叶えると意図するぞ!」
といったんは意図したあと、
「でもなぁ、そんなの本当かなぁ…」
「現実を見るととても叶えられそうにない…やっぱ無理じゃないの…」
と思うはず。
叶うという意図を持ち続けられなくなってしまいますよね。
ではどうすれば意図を持ったままでいられるの?というと、自己観察するのがおすすめですよーというお話です。
自己観察すると、思考の影響を受けず意図できる
これ、とある掲示板でそのものズバリ「自己観察」というお名前の方がお話してることなんですけど、
「感情」=意識の下にストックしてる観念や記憶のデータの中から、
状況に応じて自動反応で浮上してくるもの。一時的なもの。
「思考」=一時的な感情を分析、定義してそれにリアリティを持たせようとしてるもの。
現実をありのままに見るのを妨げてるもの。
だけど、それらは意思と関係なく無意識のうちに自動的に起きてくるものなので、
意識的に、主体性を持って生きることを選択したとき(その感情や思考をいらないと取り下げたとき)
その一切が無効になるので、その一時的感情や、感情を分析、定義してる思考に飲み込まれない限り、自分の「意図」に影響を与えられるものではない。
この、
「思考に飲み込まれない限り、自分の意図に影響はない」
というの、とっても大切だと思います。
人って、思考を自分のものだと思ってるんですけど、大概は自分のものではありません。
自己観察によってここに気づくと、意図を持ち続けていられるようになると思います。
感情や思考は、自分のものではない?
「は?自分の思考が自分のものじゃないってなに…。
自分で考えてるんだから、自分のものでしょ?」
と思った方も多いと思いますが、どういうことかというと…。
たとえば、あなたがAさんに挨拶したのにAさんは返事をしなかったとします。
ここでつい「なんだよ、嫌な奴だな!」と思考したとします。
この思考も、あなたの意志ではありません。
だって、
「よし、私はいまからAさんを嫌な奴だと考えるぞ~」
とか考えてやったわけじゃないですよね。
そうしようなんて意志はないのに、反射的にそう思考したはずです。
では、なぜ反射的にそう思考したのか?というと、もうこれは長年、そうするように仕組まれてきたからですね。
幼いころから徹底的に、
「挨拶をしないのは失礼なことである」
といった観念を埋め込まれているし、そのような観念があるとそこから自動的に、
挨拶されなかった
↓
じゃあ失礼なことをされたってことじゃん
↓
じゃあそんなことをするのは嫌な奴じゃん
とムカッと来て相手を嫌な奴だと思考するようになります。
人ってたいがいはこうして、他者から埋め込まれた観念をもとにして反射で怒ったり笑ったりしています。
幼少期から長年かけてそう反応するようにプログラムされたから、
自分の意志で考える間もなく反射的にそうしてしまう、という感じです。
自己観察で「これは反射だ」と気づけば意図どおりにできる
けれど、ムカッときて「ヤな奴」と思ったとき、
「これは反射的にムカッときたあとヤな奴だと思うようにプログラミングされているからそうしてしまうのであって、今の私の意志ではない」
と気づく方は少なく、逆に、
「この私の思考は本物だ」
「私のこの考えに間違いはない」
と、なぜかプログラムで操られて怒らされている自分こそが自分なのだ、
これぞアイデンティティだ、みたいに、なんか操られている自分のことを非常に大切にしちゃいます。
でも、自己観察することで本当は自動操縦させられている自分に気づきましょう、と。
ムカッ…ときたときに、
「あぁ、私はムカッときているのね~」
「ほー、そう反応するんだ~」
「ヤな奴!!…と私は思っているのね~」
と客観的に自己を観察できたならば、その自己観察をしているほうの自分って、反射で起きる思考に飲み込まれていませんよね。
その観察している側の自分が本当の自分です。
その本当の自分のほうは、意図を邪魔されることはありません。
だってプログラムの外にいるしね。
意図してもそれができない、というのは、なんらかの自分ではない思考に支配されていて、
かつ自分が支配されているということに気づいていないとき、
支配されている自分が本当の自分だと思い込んでいるとき、なんですね。
その思い込みから抜けるために、自己観察は効果的だと思います。
自己観察はエゴの思考に有効である
自己観察を提案しているのは、「何かをしないではいられない」エゴに対して有効だから。
本当は「何もしなくていい」んですが、そこで手放しに「何もしない」ことが出来ない人も多いと思います。
そういう人は、まず自分が普段どれくらい「自分のものではない」エゴの思考にふり回されてるか気づければそれを却下すればいいし、
そうやって慣れてくればいつのまにか本来の立ち位置(「何もしないでいい」立ち位置)に立っていることに気づくと思います。
自己観察さん、本来は(意図以外)何もしなくていいとしつつも、
「でもそうは言ってもそれって難しいよね」
ということで上で書いたように、自分ではない思考に振り回されていることに気づくため自己観察してみてはどうか?
いかに自分が振り回されているかに気づいたら、振り回してくるものを却下すればいい(捨てればいい)し、
それに慣れれば、「何もしなくていい」という本来の立ち位置に立てるよと。
実際、自己観察していると自分がいかに自分ではないものに支配されているか、
支配されていることに全然気づいていなかったか、
支配された自分こそが自分だと思い込んで生きていたかに気づくと思います。
それに気づけるようになると、
「なんだ、叶わないと思考してるのは私じゃないじゃん」
ということにも気づくと思います。
過去に埋め込まれた、
「夢を叶えるためには努力すべき、なにかすべき」
といった固定観念と違うから反射的に不安になっているだけじゃないか、
そうして不安になったあとこれまた反射的に、
「どうしよう、なにすればいいかわからない、無理だ」
と思考してしまっているだけじゃないか、
過去にできたプログラムに意図を捨てさせられていただけじゃないか…、
ということに気づけば、気づいた側の自分…プログラムの支配を受けていない自分になら「叶う」という意図は持ち続けていられます。
それが本来の立ち位置、何もしないでいい立ち位置です。
まずは日常の小さなことから自己観察を
なんだか難しそうって感じを受けたかもしれないけれど、
とりあえず日常でなにかに怒ったりしたときに、
「ムカつく!」
だけじゃなくって(これは反射プログラムに「ムカつく!」と思うように支配されてやっている状態なので)
「ほー。ムカつくのか…そう感じているのね…ふぅん…」
と自己観察するようにしてみてください。
自己観察する際の注意点として自己観察さんが言ってるけど(なんかややこしいな)
「観察しよう」と力を入れないで、淡々と客観的に眺めてるほうがいい。
です。
最初のうちは「淡々と自分のや思考を観察する」というのに慣れないかもしれないけれど、慣れてくると、
「あぁ、本当に思考というのは自動で出てきてる、私の意志じゃないんだ」
と実感が伴ってきて、出てくる思考に対して「ふーん」って感じになってくると思います。
これが上手にできるようになってくると、
「どうせ叶わないんじゃないか」
「なにか努力すべきじゃないのか」
「叶うと意図すればいいと言われても信じられない」
というのに対しても、「ふーん…」という感じで見られるようになります。
そう思っているのは私じゃない、と知っていますので、わざわざ、
「そう思うのをやめてちゃんと意図しなきゃ!」
とか思わなくても意図できるようになってると思います。
自己観察で思考が自分のものではないと気づくと、意図を持ち続けていられる。
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意図するだけ?他にはなにもいらないの?
今回は「意図するだけ」についてのお話です。
潜在意識についてのお話の中で、
「願いは『叶う』と意図するだけで叶う」
と言われることがあります。
さて、では本当に潜在意識は意図するだけで願いを叶えてくれるのか?についてお話していきます。
こういう意味にとらえるなら「意図するだけ」は嘘
うーん、これなんですが…個人的には、
「意図するだけでいいというのは、本当とも言えるし嘘だとも言える。物は言いよう」
みたいな感じがします。
まず、「意図するだけでいい」というのは、
「そうしようと決めれば勝手にそうなるんだから、それ以上何もしなくていい」
ということですよね。
しかし、こう言われたときって絶対みなさんこう思うと思うんです。
「そうなるって意図するだけでなぜにそうなる!?」
「いやいやいや、そうなるためには過程や行動が必要なはずでしょ?
それをしないでどうやってなるんだ?」
と。
おっしゃるとおりで、何かを叶えたいならそれを叶えるための過程は必要です。
だって、「金持ちになる!」と意図するだけで目の前に札束が降ってきたりとか絶対しませんよね?(;^ω^)
金持ちになりたいならば、金持ちになるための行動や過程はそりゃあ欠かせません。
「じゃあ、意図するだけで叶うってのは嘘なんだね?」
というと、たしかに嘘と言えます。
しかし、こうとらえるなら「意図するだけ」は本当
だけど、これは前にも何度かお話したとおり、
そのような過程・行動というものは自分で意識してやるわけではなくて、
潜在意識が勝手に自分にやらせてくれるものです。
水を飲もうと意図したあと、
「ようし、水を飲むためにはまず…、
ここから立ち上がる必要があるからまず足を動かして…、よし立ったぞ!
そのあとえーと、キッチンに行くから…ここから歩く必要があるな!」
とか意識して水を飲みに行く人はいませんよね。
「飲もう」と意図するだけで、そのあとはスッと立ち上がって飲みに行って飲んじゃうはず。
水を飲むために必要な過程・行動は潜在意識がやらせてくれるから、いちいち頭で意識して考えなくてすみます。
「水を飲もう」という意図のあと、過程・行動は確かにあるにはあるんですけど、
わざわざその過程・行動が「ある」なんて自分で気づかずに自然とやってますよね。
自分の取っている過程に気づいていないし、気づいていなくてもできるんだから、わざわざ気づこうとする必要もない。
つまり過程や行動は必要はない、と表現することもできます。
こう表現するのであれば「意図するだけ」は本当と言えます。
…という感じで、意図するだけではいけない!と言おうと思えば言えるし、意図するだけでいいんだ!と言おうと思えば言えるんですよね。
なので最初に、
「意図するだけでいいというのは、本当とも言えるし嘘だとも言える。物は言いよう」
と書きました。
意図するだけ、という表現をする理由
私自身も「意図するだけでいい」という表現を使うことがありますが、
これは多くの場合、過程や行動にとらわれすぎている方に向けて使います。
中には、
「私になら願いを叶えられる、叶えよう!」
という意図があやふやなままに、
「叶えるためにはどんな過程を踏めばいい?どんな行動を取ればいいんだ?うぐぐ…」
と、すごく頑張って考える方もいます。
しかし、いくら顕在意識上でああじゃないか、こうじゃないかと考えていても、
そもそもの「叶えよう」という意図が希薄なのであれば、潜在意識は叶えようとはしてくれません。
顕在意識上で頑張るよりも先に、まずはしっかりと意図をしたほうがいいです。
そうすればあとは、必要な過程は潜在意識が勝手に取らせてくれるようになるので、わざわざどうすればいいかを顕在意識上で考える必要はなくなります。
なので、
「叶うという意図さえあれば、必要な過程や行動なんて後から勝手についてくるんだし、まず最初に大事なのは意図することだよ。
とにかく、まずは意図するということだけに集中してみよう!」
と伝えたくて、「意図するだけでいい」と言うことがあります。
意図するだけではいけない、という表現をする理由
しかし、ときには「意図するだけではいけない」と言うこともあります。
これは多くの場合、「意図するだけでいい」と聞いて、
「家でぼーっと寝ていればそれで願いは叶うということか」
という解釈をしてしまっている方へ向けて使います。
意図するだけでいいというのは、決して寝ていればいいという意味ではありません。
水を飲むときに「水を飲むための過程は…」とか考える必要はないけれど、
「意図するだけで、寝転がっていれば水がやってくるんだ!さぁ、寝て待つぞ!」
と思って床に寝てても、それだとさすがに…ねぇ…(;´・ω・)
これって、水を飲むと意図しているというより「水を飲むために何もしない」と意図していますよね。
何もしないと意図したら、そりゃ潜在意識は「何もしないんだな~」と何もしないですから、水は飲めないです。
そのようになっている方へ向けては、
「意図するだけでは叶わない、もうちょっと行動が必要ですよ」
と言います。
意図するだけでいいとは本当か?ということよりも…
…ということで私としては、
「意図するだけでいいというのは、本当なのか否か!?」
と考えるよりも、
「自分は、過程や行動にとらわれて顕在意識上で考えすぎてやしなかったか?」
または、
「自分は、意図するだけでいいという言葉を、家で寝ていればいいという意味だと思っていなかったか?」
というふうに考えてみてほしいです。
そして前者に当てはまっている場合には、
「意図するだけでいい(意図したあとはなんか勝手に潜在意識がやってくれるから、あんまり気にしなくていい)」
と意識してほしいですし、後者に当てはまっている場合には、
「意図するだけでは足りない(潜在意識が勝手にやってくれると言っても、さすがに寝てるだけじゃ叶わないぞ)」
と意識してほしいな、と思います。
「意図するだけでいい」は、本当でもあるし嘘でもある。
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潜在意識は望まない現実を再配達する?
今回は再配達についてのお話です。
潜在意識について調べてて、
「現実を拒否する限り、その現実は再配達される」
という言葉を目にしたことのある方もいるかもしれません。
望まない現実が来たからといって、
「こんなの嫌だ!受け入れられない、望んでない!」
と拒否すると、受け入れるまで何度でも同じような現実がやってきますよ~、
なのでちゃんと現実を受け入れましょう、自分と向き合いましょう、嫌だという感情を感じきりましょうと言われます。
これに関してのお話です。
思考を変えない限り、再配達が続くのは自然なこと
まず、現実を拒否する限り現実は再配達されるというのはその通りです。
なにか望まない現実が起きたとき、なぜそれが起きたのか?というと、
「それが起きるような思考をしていたから」
以外にはありえません。
で、その思考を変えていないのであれば、潜在意識が現実にしようとするものも変わらないので、
延々と同じようなことが起こる…つまり同じ現実が潜在意識によって再配達されてくるのはごく自然なことです。
なので、再配達されてくる現実と向き合う。
自分自身と向き合ってみる。
(現実と向き合うってのと自分自身と向き合うってのは同じです、自分自身が投影されているのが現実なので)
自分自身と向き合うってのは嫌だなって感じることもありますが、
嫌だから考えないようにしよう、とかではなく、ちゃんと、
「あぁ、私はこう考えてるんだな、これが嫌なんだな~」
と、自分の考えていること・感じていることも受け止める。
そうして自分と向き合って心の底から、
「あぁ、私のこの思考が、望まないものを呼び寄せていたのか」
と気づいたとき、それと同時に、
「じゃあそう考えるのやめればいいじゃん」
ということで、思考は変わります。
これは「そう考えるのやめればいいじゃん」とか頭で考える間もなくやめられると思います。
心の底の底から、必要がないと知った思考は知ったと同時に捨てられる、という感じです。
望まない現実を呼んでいる思考を捨てた以上、思考してもいないのにその現実がやってくるなんてことはありえないので、ここで再配達はストップします。
現実を受け入れようとしても再配達が続く方は?
でも、
「そうか、じゃあ現実を受け入れてみよう、自分と向き合ってみよう」
とやってみても、再配達が止まる方と止まらない方にわかれてしまいます。
この両者の違いはなにか?というと、止まる方が、
「自分と向き合ってみよう」
とするのに対し、止まらない方は、
「再配達を止めよう」
としている、という感じです。
再配達を止めようと思考する限り再配達は止まらない
ちょっと言葉で説明するとわかりにくいかもしれませんが、
「現実と向き合った結果、再配達が止まる」
「感情を感じきった結果、再配達が止まる」
のであって、
「再配達を止めたいから現実と向き合おう」
「再配達を止めたいから感情を感じきろう」
ではないです。
後者をやってると再配達は止まらないです。
再配達を避けたい…ということは、望まない現実がやってくるのを拒否したい、ということですよね。
「現実を拒否したいから現実と向き合おう」
としているということですが、これって矛盾してて成り立たないですよね。
「りんごを食べたくないからりんごを食べよう」
みたいな感じで、食べないのと食べるのは同時にはできないです。
同様に、現実を拒否しながらかつ同時に現実を受け入れる、なんてことはできないです。
「拒否するのをやめないかぎり、再配達はくる」
これを聞いてすんなり、
「では、拒否するのをやめよう」
と思えるといいのですが、なんだか無意識のうちに、
「そうか、拒否できるようになるためには拒否をやめればいいのか!」
みたいに受けとる方のほうが多いように思います。
言葉にするとすごく矛盾してるんですけど、自分だと矛盾って気づきにくいですよね(;´・ω・)
現実と向き合うのは思考を変えるため、現実を変えるためではない
現実と向き合おうと言われるのは、現実と向き合うことで思考が変わるから、です。
変えるのは思考です。
「現実と向き合うことで現実を(望むものに)変えられるんだから、そうしよう」
というのだと、これって変えようとしているのは思考ではなくて現実ですよね。
これは現実を受け入れようとしているようで、むしろ拒否しています。
ここに気づいて、自分が現実を拒否しているという現実を受け入れると良いかなって思います。
自分が現実を拒否しているという現実を受け入れるまで、今の状態が再配達されてしまいますので。
では、自分が現実を拒否しているという現実を受け入れるにはどうすればいいのか?というと、
「なぜ私はそこまで、自分の思考ではなく現実を変えたいのか?」
「なぜ私はそこまで、自分と向き合うことを恐れているのか?」
ということ、考えてみてください。
たぶん、そこについては考えたくないですよね。
考えようとするだけで、なんだか嫌~な感じがしますよね。
でも、その嫌さから逃げずに、ちゃんと感じて、ちゃんと考えてみてください。
それが現実を向き合い受け入れるということ、もう拒否をやめたということ、
もう再配達はない、ということです。
「拒否するために拒否をやめよう」という矛盾が起きていないかチェックしてみてください。
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