自分がダメすぎて嫌になる…その原因や心理はどんなもの?

貝殻

 

自分はダメだと思い、自分を守ろうとする心理

 

今回は、自分がダメすぎて嫌になる…という方へ向けてのお話です。

誰だって自分のことをダメだなんて思いたくはないはずなのに、

どうして人ってそう思っちゃうのでしょうか?

その理由はいくつかありますが、そのうちのひとつに、

「自分をダメだと思うことで、自分を守っている」

というものがありますので、今回はそれについてです。

 

 

「自分はダメでした」というAさんとBさん

 

たとえば、会社でAさんとBさんがミスをしたとします。

AさんBさん、ともにすごく反省している様子で、

「すみません…今回のミスは本当にダメだったと思います…」

としょんぼりしています。

 

 

それを聞いた上司のあなたは、

「そこまで反省しているならまぁ…いやいや、

こんなミスを繰り返されては本当にたまらないぞ、もう一言だけ言っておこう」

と思い2人に、

「そうだね、このミスは本当に良くなかったよ。気をつけて」

と念押しをしました。

 

 

するとAさんは、

「…はい、その通りだと思います。気をつけます」

と言い、Bさんは、

「……確かにダメだったかもしれないけど…。

…私なりに一生懸命やったのにそこまで言わなくてもいいんじゃないですか?」

と言いました。

 

 

どうでしょう、これ、

「あ、Bさんはたいして自分のしたことをダメだと思ってないな」

ということに気づくんじゃないでしょうか。

 

 

ダメだと責められたくないので先取りで自分を責める

 

Bさんのほうも、そりゃあ悪いと思っているんだとは思います。

しかしそれ以上に、

「自分を守りたい、人からダメだと責められたくない」

という気持ちが強いですね。

なので、一見芯から反省しているかのようなふりをしてみせて、

「そこまで反省してるならもういいよ」

と、相手が許してくれることをどこかで期待していた。

ところがさらに釘を刺されたことでカッとなり、

「なんでそこまで言うの?(そこまで言わず私を許してよ)」

という、自分を守りたいという本音が出てしまった。

 

 

これと同じで、

「私は本当に○○なとこがダメなんです…」

というとき、

「そうだね、ダメだと思うよ」

と言われて、カッときたり泣いたりする人は、本当に芯からは自分をダメだとも嫌だとも思っていない、と思うんですね。

ダメだ・嫌だと思っていることは思っているのですが、

しかしそれ以上に、「ダメだ」というその事実を直視したくないという気持ちがあり、

なんとかかんとか自分はダメじゃないんだ…と思おうとしている。

 

 

自分はダメだ、という事実から自分を守りたい…。

ダメだという事実から身を守るためには、どうすればいいだろう?

すると、先取りで自分から「自分はダメだ」と思うことにしようとなる。

 

 

自分をダメと責めてから自分で許す一人二役

 

Bさんは、先取りで自分のことをダメだと言うことによって、

「そこまで反省してるならいいよ」

と相手に言ってもらえることを望んでいましたよね。

人って、相手が「自分」でもそうしてしまうんです。

 

 

自分から自分をダメだと言うことによって、心のどこかでは、

「ここまで自分を責めてるんだからいいだろう」

という、自分を許せるような、慰められるかのような感覚が生まれます。

一人二役をやっている感じです。

自分で自分に「ダメだ」と思うことで、自分で自分に、

「ダメだとわかってるならいいんだよ、わかっていないよりまだマシだよ」

と思える。

 

 

自分をダメだと思いたくないがために、自分をダメだと思い始める。

自分をダメだと責めているうちは、自分をダメだと思わずにすむ。

そんなややこしいことが起きてきます。

 

 

こうなると、

「自分をダメじゃないと思うわけにはいかない」

です。

ダメだ、嫌になる…そう思うことで自分を守っているのだから、

ダメじゃない、嫌じゃないと思ってしまうと、自分を守るすべがなくなってしまいます。

なのでこのような状態にある人は、

「ダメじゃないと思おうとしても(それをすると自分を守れなくなるので)思えません」

となります。

 

 

Bさんは「本当に良くなかったね」とダメ出しされたことで、

自分を守り切れなくなってカッとしてしまいました。

自分をダメだと責めることで自分を守っている、という人も、

なにか自分を守り切れないと感じたときには怒り狂ったり、異様に落ち込んだりします。

怒る、というのはストレートに牙を向き、自分を傷つけた相手を認めまいとする行為。

異様に落ち込む…というのは、

「あなたのせいで私はここまで落ち込みました」

「もうここまで落ち込んでいるんだから、これ以上はやらないでくださいよね?」

とプレッシャーをかける意味があったり、

さらに強く自分をダメだと思考することで、より一層自分の身を守ろうとする行為です。

そうしてさらにガードを固めて、自分はダメだという事実を直視しないようにします。

 

 

心底から自分がダメだと思ったとき、人は必ず変われる

 

本当に自分をダメだと思っている…という人って、Aさんみたいな態度になります。

「確かにダメだった。嫌だけど、それが現実だ」

と受け止めるので、わりと静かに「確かにそうですね」と認めます。

そして、そういう人は変わります。

人間って、誰だって自分をダメだなんて思いたくないものですよね。

自分に価値がないだなんて思いたくはない。

意味がある存在だと思いたい。

これは生まれ持った本能のようなものだと思います。

なので、心底から「私はダメ」と思ったとき、絶対に人はその状態には耐えられない。

「そんなの嫌だ!」という本能が湧き出てくるので、そこから、

「では、どうやってこの嫌な状態から抜け出せばいい?私はどうやって変わろうか?」

と変わろうとしだすんです。

 

 

自分を責めて…泣いて、怒って…というのは、現状を受け入れまいと拒否する行為。

でも、

「私は、ここがダメなんだな」

「どんなに嫌でも、これが現実なんだ」

ということを芯から受け止めたとき、現状を受け入れたとき、人は変わる。

受け入れた瞬間から、

「このままではダメならば、ではこれをどう変えればいいのだろう?」

と、より良くなろうとする本能が出てきて思考が前向きに切り替わるように人はできているから。

 

 

「自分のことを本当にダメだと思う」

なんてこと、しちゃいけないというか、そんなの救いがないように思えるかもしれない。

そんな救いのない状態になりたくなくって、

なんとか自分をダメだと思わずにすまそう…と人はするんだろうけど、

「自分の弱さとかダメな部分を認めるというのは、自分をダメだと認めることではなく、今の自分より強くなること」

なんですね。

本当に自分をダメだと思った人、というのは、自分に絶望した人のことなんかじゃない。

むしろ強い希望を抱けた人です。

「私は、ここがダメなんだな」

ということを直視し、ダメなのはあれのせいだ、これのせいだ、なんて言い訳とかを一切つけない強さを持った人。

自分の責任を、自分で負うことを覚悟した人。

とても強くて前向きな人のこと。

強くて前向きな人は、うまくいって当然、変われて当然です。

 

 

人から「本当にそこがダメだね」と言われたら?

 

いまあなたは、

「自分のこういうところがダメだ…」

というふうに思っていますよね。

一度勇気を出して、

「誰かから、『本当だね。確かに、あなたのそういうところはダメだと思うよ』と言われたらどんな気分になるだろう?」

と想像してみてください。

 

 

想像してみて、

「こっちは落ち込んでるのに、よくもそんなことを言ったな!」

とカッと来たり、

「やっぱり、どうせどうせ、どうせ私はダメな人間なんだ……」

と強い落ち込みを感じるのであれば、先取りで自分をダメだと思うことで、

人や自分自身からダメだと思われることを回避しよう、という思いがあるのだと思います。

その回避ができなくなったので、動揺する。

 

 

でも想像してみて、心にズキン…とは来るものの、

「…そうか…。人から見てもやっぱりダメに見えるのか…。

…これは本格的に、私のなんとかしたほうがいい部分みたいだな…」

と思えるなら、それはあなたが本当に自分のことをダメだと思えている証拠だと思います。

ひいては、それを変える強さも持っているということ。

そう思える人は、ここから自然と変われますから大丈夫ですよ(*´ω`*)

 

 

自分をダメだと思うことで、自分をダメじゃないと思おうとすることもある。

 

 

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「自分を許すことができない」という心理について。

蝶

 

「相手を許すと良い引き寄せが起きる」について

 

今回は「自分を許す」ということについてです。

その前にまず、前回の「他人を許す」というお話についてもうちょっと詳しく話そうと思います。

 

 

「許す」と「赦す」を分けて考える

 

まず、「許す」と「赦す」を明確に分けて考えてみてほしいです。

許すというのは、なにかを許可すること。

赦すというのは、憎しみ・恨みを手放すことです。

引き寄せでよく言われる「他人を許しなさい」というのは「赦し」のほうですね。

(ふだんあんまり赦すって漢字は使わないので、許すって表記されてますけど)

たとえば、会社で部下がミスをしてしまった、というとき。

 

○許す→「ミスしちゃったの、別にいいよー。これからもミスしてもしょうがないよ」とミス自体をしてもよいものと許可する

○赦す→ミスはしてはいけないことなのでミス自体は許可しない。ただ、ミスしたからといってその相手を憎んだりしない

 

という違いです。

 

 

多くの人が「他人を許す」というときに、「許可」のほうを与えようとしているように思えます。

「まだ新人だからミスしてもしょうがないと思おう…」

「きっと悪気があってやったわけじゃないし、ミスしたからって怒っちゃだめ…」

とか、ミスしたこと自体を「してもよかった・しょうがなかった」と許可しようとしだす。

「新人はミスしやすい」

「悪意がなくてもうっかりしてしまうことがある」

これは確かに仕方のないことですから、そこは認めて許可すると良い部分だと思います。

でも、

「あなたがミスしやすい状態にあることは許す。しかし、ミスをしたことそのものは許可できない」

と、明確に分けて考えてミスに対策を打たないと、ミスがなくならないですよね。

ここで、

「あなたはミスしやすい状態にあることを許す、ひいては、ミスしたことそのものも許可する」

だと部下は伸びないし、自分も困るままなのですが、多くの人がこれをやっちゃってるように思います。

「相手を認めること=相手のすることを認めること」

みたいにつなげて考えている人が多いように感じるんですが、

「相手を認めるが、しかし相手のした『ある特定の行為』に関しては認めない」

という線引きができないとなにかがおかしくなっていってしまう。

 

 

悪口を「許す」必要はない

 

悪口を言われたとき、

「中には悪口を言う人もいる」

というのはしょうがない部分だし、認められると良いことだとは思いますが、

「中には悪口を言う人もいるので、この人がそういう人であることは認める。

しかし、『悪口を言うという行為そのもの』は私は嫌いだし、許可できない」

と明確に分けて考えたほうがいいと思うんです。

そこを分けて考えてしっかり意識できると、悪口に対して、

「私は許さない、屈しない」

と毅然としていられるし、同時に、

「でも、相手がそういう人間であることはしょうがないよね」

と相手のことは認めているので、

「悪口を言う相手をどうしてやろうか?」

なんて考えに取りつかれることもない。

毅然として、かつ穏やかでいられる。なので人間関係がうまくいく。

 

 

でも、

「中には悪口を言う人もいるので、この人がそういう人であることは認める。

ひいては、悪口を言われてもその行為を許可しましょう」

というふうに…「相手を認める=相手の行為を認める」と考えていると、どうしても心の底で、

「なんで悪口言われたことなんて許さなきゃいけないの」

という納得できない気持ちが生まれて許せない。

相手の行為が許せないということは、それとイコールでつながっている「相手そのもの」も許せない。

こうなると、

「アイツをどうしてやろうか」

「どうしても頭から離れない、謝ってくれないと気が済まない」

なんて、悪口を言う相手をどうにかしようと躍起になってしまったりもする。

これが相手への恨みを潜在意識下に抱えたままの状態、赦せない状態。

 

 

ときには「許さない」と決意することも大切

 

私は、

「相手を赦せない」

っていうのは、

「相手を認める=相手のしたことを認める」

と、2つをイコールで結びつけて考えているから起こることなんじゃないかと思います。

相手を赦すということをするためには、ときには、

「それは許可できない、私は受け入れない」

と、断固なにかを「許さない」と決意することも大切だと思います。

そうして、嫌なものは嫌だと認めて嫌なものからは距離を置かないと、

自分の人生はずっと嫌なものがある状態のまま変わらなくなる。

ずっと嫌なものが近くにあるなんて状態では、相手を赦そうなんて心の余裕も持てなくなる。

 

 

引き寄せは「相手を赦す」ということはすすめているけれど、

「相手のした行為をなんでもかんでも許可しなさい」

とはすすめていないです。

「相手を認める≠相手の行為を認める」

「相手を赦す≠相手の行為を許す」

です。

ノットイコール。2つは別のものだと覚えておいてほしいなと思います。

相手の行為を許さなくても、相手を赦すことはできます。

イコールでつなげず分けて考えると、うまくいきます。

 

 

できない自分が許せない…という心理はどんなもの?

 

ではでは、自分を許すということについて。

この場合も、よく使われる漢字は「許す」のほうだけど本来は「赦す」を意味していますよね。

自分自身への憎しみ、自責の念を捨てることを指しています。

 

 

この「自分を赦す」ということがどうしてもできません…という人は、

自分でも気づかないうちになんとなく潜在意識下で、

「相手を認める=相手のしたことを認める」

というのと同じように、

「自分を認める=自分のしたことを認める」

と2つをイコールでつなげて考えてしまっているから自分を認められない・自分を赦せない…となるんじゃないか?と思います。

 

 

さっきの新人のミスだと、

「ミスしたのはしょうがないよ」

とミス自体をしてよかったこととしてしまうと、その後その人は伸びない。

「あなたがミスしやすい状態だったのは認めるしそこは責めないけれど、ミスしたことそのものを『OKだよ』とは許可できないから改善を」

としないと今後につながらないですよね。

全く同じように、自分がなにかをしたときに、

「しでかしてしまったことそのもの」

を許可しようとすると、自分が伸びなくなるのですが、それをしようとしている人が多いように感じます。

勉強しようと思ったのにダラダラとテレビを見てしまった、というとき。

「それをしてもいいんだよ、してもしょうがなかったんだよ、そんな自分を認めよう」

と、その行為も含めて良しとしよう、みたいな感じ。

 

 

その行為を許すのは良くないと潜在意識下で気づいている

 

ですが、その行為は…してもよい、ということにして良いのか?と。

「ダラダラとテレビを見る自分を認める」

ということをしてしまうと、ではテレビを見ていていいことになるし、勉強できる自分になれない。

これは単に自分を甘やかしているだけ。

そして、ほとんどの人は、

「これって単に自分を甘やかしてるだけなんじゃないの?」

「こんなことしてて、本当に自分は良くなれるの?」

ということに、心の底の底では気づいている。

ミスした新人を甘やかしても伸びていかないことはみんなわかっているのと同じように、

ダラダラした自分を甘やかしても自分が伸びていかないことは本当はみんな、すでに知っている。

だから潜在意識下で、自分でも気づかないうちに「それおかしくない?」というストップがかかり、

「自分を赦そうと思っても赦せません」

となる。

 

 

許さない強さを持つことで赦せる

 

こういうときには勇気を出して、

「私の、ここが良くないのだ」

と、自分のした行為を否定してみると良いと思います。

それは怖いことかもしれません。

自分のした行為が良くないことと認め、改善しなきゃいけなくなるのは、とても面倒だし恐ろしいことのように思えますよね。

でも、自分の行為を「許可できない」と自分で言えたときには、ある種のすがすがしさが生まれることに気づくと思います。

 

 

「自分を認める=自分のしたことを認める」

こう考えている人は、自分の改善点を認めたがりません。

自分のしたことを良くないことと認めるということは、それすなわち、自分が良くない人間だと認める、ということだと思っているからです。

自分をダメな人間だと思いたくない…。

そういう潜在意識下の思いが強い人ほど、自分のした行為を「良くなかった」と認められなくなります。

 

 

「良くない」と言う勇気を持てたとき、そんな自分を好きになれる

 

でもこれ、うーん、こればっかりはやってみないとわからないことなので言葉で説明しても実感はできないと思いますが、

思い切って、自分のした行為を良くなかった、と心底から認めたとき、

「私は成長した」

という自負が生まれるものなんです。

認めるのが怖くて逃げ回っていたものと対峙したのですから、そのとき人って確実に、

「私は、逃げるのをやめて立ち向かった」

「今までよりも強くなった」

という自信が湧くものなんです。

すると、

「あぁ、自分の弱点や改善点を認めるということは、自分をダメだと認めることではなくて、強くなるということなのだ」

と気づきます。

そうしてひとまわり強くなってから改めて自分の弱点を見ると、

「あれ、克服するのはひどく大変だしできそうにないと思って怖がっていたけど、そうでもない。できそうだ」

と思えるものなんです。

さっきすがすがしさが生まれると言いましたが、それはこういった自負・自信・気づき・できるという希望を得たときのすがすがしさです。

 

 

「弱点を認めるのは、自分を弱い人間だと認めること」

という思い込みから解放され、

「弱点を認めるのは、強くなるということ」

というのが、理屈ではなく心で感じられたとき、人は変われます。

自分に対して心から、

「これは許可できない点だ、私の弱点である。

でも、私自身が弱いとかダメなわけではない。その弱点は克服できる人間なんだから、やってみよう」

と思える。

「自分を赦す≠自分の行為を許す」

ということを、腹に(潜在意識に)落とし込める。

自分の行為を許さないことで、許さない強さを持つことで、その強さで自分を赦すことができるようになるんです。

こればっかりはやってみないとできるようにならないから、最初は勇気を出してやるしかないんだけど…。

 

 

「許せない」はあくまでも行為のみを見て言って

 

赦す…というのは、なんだか優しい感じのする言葉です。

が、私はある程度「これは許可できないものはできない」という厳しさを持っている人にしか、赦すことはできないと思っています。

なので、

「○○してしまったけど、そんな自分を良いと思おう」

としていても思えないならば逆に、

「私が今回○○したということ、その行為は本当に良くないことだったな」

と思うようにしてみてはいかがでしょうか?

 

 

このとき絶対に忘れてほしくないのは、良くないのは「行為」でしかないということです。

新人がミスしたとき、

「ミスしたあなたという人間は、ダメね」

とまで言う必要はありませんよね。

同じように、

「○○した私は、ダメな人間だ」

なんて考える必要はない。

「行為そのもののみ」に限定して、良くない、と言ってみてください。

それができるとひいては、

「しかし、私はまだまだこれから伸びるのだから、これくらいのことは克服できる」

という強さも生まれます。

そしてその強さで、自分を赦せます。

 

 

「良くないものは良くない」そう認められたとき、自分を赦せる強さが生まれる。

 

 

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カテゴリ:引き寄せの法則 

許せないものは許せない…。相手を許すことで潜在意識が幸せを引き寄せてくれると言われてもできない!というときは?

 

蓮の花

 

引き寄せの法則で「相手を許すことで豊かになる・幸せになる」というのは本当か

 

今回は、許しに関してのお話です。

よく引き寄せでは、相手や自分を許すと幸せになれると言いますよね。

これは本当か?というと、本当だとは思います。

 

 

なぜか?というと…。

人って何か被害を被ったと感じたときついつい、

「あの人のせいで、私は不幸になった」

と考えます。

そして相手に謝罪や反省など、態度を改めることを求めます。

「あの人が変わってくれれば、私の気が済む、私は幸せになれる」

と思って。

これって、自分の幸不幸は相手の意志・行動に委ねられているということ。

幸せになるためには、その相手が必要になってきます。

あの人のせいで不幸になった…ということは、ひいては、

「私は、あの人なしでは幸せになれない」

と認めたということ。

 

 

なので、憎い相手から離れないでいる人もたくさんいます。

私自身もそうだったのですが、

「親のせいでこうなった」

とひどく憎みながらも、ずっと同居していました。

はたから見れば、

「そんなに嫌いなら家を出れば?」

と思うかもしれませんが、家を出て相手から離れてしまうと、

 

相手を変えようとする機会・反省や謝罪をしてもらう機会を失う

相手が態度を改めることで自分が幸せになれる機会を失う

 

ということですから、憎くて仕方がないのに離れるわけにはいかない、となります。

「憎い相手に変わってもらう」という方法以外で、どうやって幸せになればいいのかわからないと、こうなります。

こうして、嫌いなはずの相手から離れられないでいる人もたくさんいます。

 

 

不思議ですね、そこまで憎んでいるのに、その人なしでは幸せになれないなんて。

そこまで憎んでいるのに、その人が誰よりも必要だなんて。

そんなおかしな状態を作り上げてしまうのが、

「あの人のせいでこうなった」

という思考です。

 

 

誰かを憎んでいない人は、そういうことはない。

自分が幸せになるかどうかを自分で決められる。

自分の幸せを自分で決定できる人と、

自分が幸せになれるかどうかが他者にかかっていて、その人がいないと幸せになれない人。

これはやはり、前者のほうがより幸せになれますね。

憎しみを手放し許すことで、

「憎い相手に頼ることなく幸せになれる」

という段階にいけますので、やはり許すことで許していないときより幸せになれるというのは本当のことだろうとは思います。

 

 

許したいけど許せないのは、心理下に「許すと不幸になる」という思いがあるから

 

こういったことは、引き寄せについて読んだりしたことのある人ならもう知っているかもしれません。

それで多くの人が、

「では、幸せになるために相手を許そう」

と思いはじめます。

それ自体は悪いことではないのですが、許そうと思ってハイそうしましょと許せるものではなく、許したいのに許せないと苦しむ人も出てきます。

 

 

では、なぜ許せないのか?

なぜかというと上で書いた、

「その人が態度を改めてくれないと幸せになれない」

という考えと、

「幸せになるために許そう」

という考えは対立するし、前者が勝ってしまうからですね。

「相手が態度を改めてくれれば→私は幸せになれる」

というのは、

「相手を許せば相手は態度を改めなくなる→私は幸せになれなくなる」

ことを意味しますので、心の奥深くでは、

「相手を許せば自分の不幸が決定する」

と思っている。

心底でそう思っているときに、どれほどネットとか本とかで、

「相手を許すことで自分は幸せになれる」

という言葉を聞いてそうしようとしてみても、心の奥底の強い思考、

「許せば私は幸せになれない」

のほうが勝つので、許せない。

自分が幸せになりたいと望む限り、相手を許すことはできなくなります。

 

 

これは、自身がそう思っているのだなぁということが自覚できると変われると思うのですが、

なかなかその自覚が持てない人も多いように思います。

意識の上では、「あんな奴死ねばいいのに」とか思っているし、ものすごく必要のない相手に思えるんですよね。

いなくなっても構わないと強く思っています、顕在意識上では。

よもや自分が心の底では「どうか幸せにして!」と相手にすがっている状態だなんて思いもよらないという人が多いし、

薄々そのことに気づいていても、

「あんな奴に私が頼っているだと!?絶対私はあんなヤツ、必要なんかじゃないもんね!!」

なんて気持ちがあって、自分が相手を必要としているということをうまく認められない人もいる。

まっすぐに、

「私は、あの人を必要としているのだ」

ということを見つめれば、そこから、

「いいや、そんな生き方は嫌だ!!」

という確固たる決意が生まれて生き方を変えられるのですが、

その自覚が曖昧なので、ひいてはその自覚から生まれる「嫌だ!変わろう!」という決意も曖昧なままになります。

変わろうという意志が曖昧なままならば、変われません。

しかしそういうことに自分で気づいていない状態だと、表面的には、

「なぜ変わるために(幸せになるために)こんなにも許そうと思っているのに、許せないのだろう?」

となります。

 

 

許すのが大事、感謝するのが大事と思い、人に舐められていく人もいる

 

あと、必死に許そう許そうとしている人の許し方って、

なにかちょっと違っちゃってるんじゃないかな?と感じることもよくあります。

「寛容な心を持てば、相手のことを許せる心があれば、自分は憎しみにさいなまれて辛い思いをしなくてすむ」

「だから、相手のすることを許せるようになろう」

…ということ自体は間違っていないと思うんですけど、なんか許し方がヘン?と思うことがあるんですね。

たとえば…、相手にひどい扱いを受けても、

「こんなことで怒っちゃいけないわ」

とか、

「相手はきっと私のためを思ってやってくれたのだわ、感謝しなきゃ」

とか思ってる人がいます。

なんというか、相手が何をしてきても腹を立てまい、感謝しよう、というスタンスの人。

「それのどこがいけないの?」

って思うかもしれないんだけど…私はこれ、許すことと赦すことの区別がついてないんじゃないかしら?と思えるんです。

 

○許す…なにかを許可すること

○赦す…怒りや恨みを手放すこと

 

です。

うーんと、例えば、あなたにお子さんがいてどっかで万引きしてきたとします。

 

○許す→「あら盗んだの、いいのよ~、欲しかったんだからしょうがないよね」と盗んだことを許可する

○赦す→盗みをしたこと自体は許可せずしっかり戒める。しかし、盗んだことで子を憎むわけではない

 

あるいは、あなたがいじめられたとする。

 

○許す→「いじめてもいいよ、怒らないでニコニコしてます」といじめという行為を許可する

○赦す→いじめ自体は許可しない。しかし、いじめられたときの憎しみは乗り越えて手放す

 

みたいな違いです。

許そうとしても許せないって人は、許可のほうの「許す」をしようとしてるように見えます。

「過去に私をいじめた人を許そうと思ってもどうしても許せません」

という人がいたりしますけど、そういう人って「いじめ」という行為自体を、してもよかったんだよと許可しようとしてるんじゃないのか?と。

でも、そこは許可するところではない。

相手にも事情があったかもしれないけど、いじめていいわけではない。

相手にも事情があったかもしれないから、いじめられてもしょうがなかったと思おう…とか、

相手の行為に許可を与えようとするから、できない…となるんじゃないかな。

別にそれはできなくていいと思うんですね。

そこを許可したら、人からなめられるようになっていくだけだと思います、

相手が間違っていても何も言わない、ひどいことされても何も言わない人間になるってことですから。

それはなんか違うだろうと自分でもなんとな~く感じていて、だから許そうとしても許せない。

でも、自分のしていること(許そうとすること)は良いこと、すべきことのはずだ…と意識の上では感じるので、

「すべき良きことをできない私は未熟なのでは?」

と思ってしまう。

いや、別に未熟ではない。

そこは許可しなくていいところです。

許可してなめられていく人もいるけど、なめられても幸せになれるわけではない。

 

 

相手を赦すためには、相手を許さないこともときには大切

 

私がはっきり意識してほしいな~って思うのは、

「許さなくても赦すことはできる」

というところです。

子が盗みを働いたとき、盗みを許さなくても子を赦すことはできますよね。

というかむしろこういうときは、赦しは必要でも許しはいらない、すべきではないと思います。

「盗んじゃったのね~、でも許すわよ~」

だとどうかな、それだと相手との良い関係は築けないんじゃないかな。

 

 

同じように、いじめを受けたとか、虐待されたとか、こっぴどくふられたとか、裏切られたとか、

そういうときに、「いじめ・虐待・酷い扱い・裏切り」そのものをしてもよきことと許可する必要はない。

それをしてもよいこととしてしまったら、なめられて、同じようなことする人に狙われるよ。

そういうことする人って、そういうことを許してくれる人を見抜くのがうまいから。

 

 

そうではなく、

「私はそういう行いは絶対に許さない、許可しない」

と、むしろ許すものか!と毅然としたほうがいいと思います。

私はそういうことが嫌いなのだ、許せないのだ、と、断固許すまいとする。

それは、自分の意志を持つことです。

私はこれが好きだけどあれは嫌いとか、

私はここまでは許すがこれ以上は許さないとかをはっきりさせるということは、

自分の人生を生きる上で、

「自分の意志でなにが良いか悪いかを決め、自分で良い方を選んでいこう。自分で悪いものは遠ざけよう」

という意志を持つことです。

なまじその意志を封印して許可を与えようと思うから、相手のことを許せないままになってしまい、心理的な縁が切れない。

絶対にそんなことは許可できないと心の底から拒否すれば、相手とは一線を引いたということなので、相手から心が離れられる。

それは、憎んでいる相手に幸せにしてもらおう…という依存的な状態から脱すること。

自立をすること。

自分の力で幸せになろうという強さを持つということ。

自分の力で幸せになろうという強さがある人は、幸せになれる。

そして幸せになるほどに、恨みは消えて赦しに近づきます。

 

 

人を許さなくても赦すことはできる。

あなたが許可したくないものはしなくても、幸せになれる。

 

 

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引き寄せで恋愛と仕事がうまくいかない…なんで?というときは。

 

道

 

今回はいただいた質問の回答です。

 

ダイエットがずっとうまくいかない状態だったのですが、
あるとき「やせなくていい」という理論?をどこかで読み、
その時はよくわからなかったけど、とにかく「やせなくていい」と言い聞かせました。

それから3カ月。ゆっくりですが、やせてきています。
このところまた更に、減量しました。

これまでうまくいかない状態だったのは、

「やせないとダメ」

「太っているのはみっともない」

という何か重たい鍵がかかって、むしろダイエットの足かせになっていたような気がします。

こうして、自分の願いとアファメーションがカチッとうまく合うと、本当に願いが叶うのが早いと感じるのですが。
肝心の、仕事の発展や恋愛などは、アファメーションの言葉や、潜在意識の何が問題となっていて、スピードが遅くなっているのかがわかりません。
この自分の本当の足かせになっているものを見つけるには、どうしたらよいのでしょうか。

「本当の足かせを見つけよう」という思考が、実現のスピードを遅くしています。

うまくいくと思考すれば、足かせには自然に気づけるようになります。

 

うまくいかないダイエットが「痩せなくていい」でうまくいく理由

 

最初のうちは痩せたいと思っていてもうまくいかなかった。

これがなぜかというとまさに質問者さまのいうとおり、

「やせないとダメ」

「太っているのはみっともない」

という思いが強かったからだと思います。

根本にあるのは、まだ痩せていない自分への自己否定と、痩せねばならぬという義務感ですね。

自己否定と義務感、これは非常に脳のパフォーマンスを下げてしまう感情です。

「痩せなくていい」

と言うことで、今の自分でもOKという自己肯定感が育つ&痩せねばという義務感が消えて下がっていたパフォーマンスが戻ってきた。

なので、かえってダイエットのための行動を取ることが苦痛ではなくなり痩せることができたんですね~(*´ω`*)

 

①痩せないとダメ、という足かせとなるような思考がある

②「痩せなくていい」という言葉でその足かせがはずれる

③痩せる

 

…という感じに見えますね、一見。

 

 

恋愛と仕事がうまくいかないのを改善するためには?

 

で、質問者さまは上の図式と同じ要領で、

 

①仕事と恋愛がうまくいかないような、なんらかの足かせとなるような思考がある

②その足かせを良いアファメーションなどによってはずせれば

③仕事と恋愛もうまくいく

 

のでは?と思い、しかし、

「①と②が自分じゃよくわからなくて、③にいけないよ~」

というお気持ちから今回の質問をなさったんじゃないかな?と思います。

 

 

うーむ、しかし私はこれ、

「仕事と恋愛の足かせを見つけてはずせば→うまくいく」

ではなくて、

「仕事と恋愛がうまくいくと思考すれば→足かせがはずれる」

じゃないかと思います。

どういうことかというと…さっきのダイエットの、

 

①痩せないとダメ、という足かせとなるような思考がある

②「痩せなくていい」という言葉でその足かせがはずれる

③痩せる

 

これ、いまは質問者さまはこういうふうに考えていると思うんですけど、

これってなんだかいろいろ足りてないんです。

 

 

最初から順を追って話すと…、まず質問者さまは、

「私は太っているので痩せたい、痩せよう」

と思ってダイエットをはじめましたよね。

ただ、

「太ってる自分はダメ」

といった自己否定の概念や、

「痩せなきゃ、痩せなきゃ…」

みたいな義務感が、「痩せよう」の邪魔をしていてなかなかうまくいかなかった、と。

でもね、本当に自己否定のほうの気持ちが強い人なら、

もっともっと早い段階で「痩せよう」という意志のほうがくじけてダイエットをやめてます。

で、やめてたとしたら、

 

あるとき「やせなくていい」という理論?をどこかで読み、

 

ということはなかったです。

これって、

「痩せたい、痩せるためにはどうすればいいかな?」

とかいう気持ちがあっていろいろ探している過程とかで見つけた理論じゃないでしょうか?

もしくは、探すつもりはなくてパッとあるとき目についたものだったのかもしれませんが、

もし質問者さまが「どうせ痩せられない」という気持ちが強かったとしたら、

潜在意識は質問者さまに、こういうものには注目させない、気づかせないはずです。

(どうせ痩せられない、という思考を現実のものとするためにはその情報は不要だし、気づく必要がないため。

仮に気づいたところで実行には移せなかったはず)

質問者さまは、うまくいかないなぁ…と思いつつもダイエットはやめていないですよね。

そしてなんだかんだでこういう情報に気づき、さらに気づいたあと、やらないという選択肢もあったのにやることを選んだ。

自己否定よりも「痩せるぞ!」という意志のほうが強かった証拠です。

自分であまり自覚はないかもしれませんけど、まず最初に「私は痩せる」というちゃんとした意志があったんですね。

なので図式は、

 

①痩せるのだという意志がある。

(同時に「痩せないとダメ」という自己否定的な思考もまだあるが、痩せるのだという意志のほうが勝っている状態)

②潜在意識がより強い思考「痩せる」のほうに従い、痩せる方向に向かいだす

③「痩せるなら、『痩せないとダメ』といった思考は不要なものなので排除しよう」と潜在意識は判断する

④不要な思考の排除のため、質問者さまに「痩せなくていい」という情報に気づかせる

⑤質問者さまは「お、そんな理論があるのか、やってみよう」と思う

⑥実践することで、足かせとなっている思考(痩せないとダメ)がはずれる

⑦痩せる

 

です。

質問者さま、①と②と③と④は自覚できていないです。

(潜在意識下で起こることなので、普通は誰も自覚できない)

⑤で、

「あ、そういう理論があるんだ、やってみよう」

となり、⑥⑦の流れに行き、そのうちに、

「そういえば私には、痩せないとダメという思考があったな~」

と気づいてきた。

あとになってから「自分で自覚できる部分だけ」を整理すると、

 

①痩せないとダメ、という足かせとなるような思考がある

②「痩せなくていい」という言葉でその足かせがはずれる

③痩せる

 

という3ステップであるかのように思えますが、

いろいろ自覚できない部分が抜けてるのでそう思えるだけです。

自身が自覚できる部分のみを見ると、

「仕事と恋愛も同じ要領で、この3ステップでうまくいくのでは?」

という発想が出るのは自然なことですね。

確かに、引き寄せって全部同じ要領でうまくいくんですけど、

でもでも、要領を真似するのであればそもそものことのはじまりの部分を真似ないと、その後の流れが同じにならないですね。

ではことのはじまり、①ってなんだったっけ?

 

①痩せるのだという意志がある。

(同時に「痩せないとダメ」という自己否定的な思考もまだあるが、痩せるのだという意志のほうが勝っている状態)

 

でしたね。

では同じ要領でうまくやるためにまず必要なのは、

「足かせがなにかを見つけること」

ではなく、

「仕事と恋愛がうまくいくのだという強い意志を持つこと」

です。

 

 

うまくいかない原因を、いま突き止める必要はない

 

…ということで、

 

自分の本当の足かせになっているものを見つけるには、どうしたらよいのでしょうか。

 

というご質問だったのですが、そもそも、自分の本当の足かせを見つけようとする必要はないんです。

その前に「うまくいくのだ」という決意が先です。

ダイエットはそうでしたよね。

最初から、

「さぁ、いまからダイエットの邪魔をしている思考を見つけてやるぞ」

と思って見つけたわけじゃなく、痩せるぞという決意のあとから足かせに気づいています。

でも、いま質問者さまは、

 

○「私にはうまくやれるのだ!」という思考

○「原因をつきとめなきゃ…」という思考

 

の2つのうち、後者のほうが勝ってしまっているんじゃないでしょうか?

後者が勝ると、かえって原因はつきとめられないんです。

うまくいかない原因をつきとめたいのがなぜかっていうと、本来は「うまくいかせたいから」のはずですよね。

でも、その本来の「うまくいかせたい、いかせてやるのだ」という思考が弱い…となると、それだと潜在意識は、

「うまくいかせるために、うまくいかない原因を改善しよう!」

という方向にはいかないです。

さしてうまくいくと思ってないなら、うまくいかない原因に気づいて取り除く必要はないじゃない、となってしまう。

まずうまくいくと思考するから原因を知れるのであって、

原因を知ればうまくいくと思考できるようになるわけではないです。

「まず足かせを見つけよう」

というその思考こそが、足かせに気づけなくなり、実現が遅くなる原因です。

まずは、

「足かせ(原因)が何かを見つける必要はない」

と自分に言い聞かせて、それを探すことやめてみてください。

探すのをやめたぶんだけ、意識を「私はできる、やれる」というところに向けてみてください。

できるという思考が育てばその過程で、

「自分の中で何かがカチッと合う」

「邪魔な思考(足かせ)がなにかに気づく」

ということがあると思います。

参考になれば嬉しいです(*´ω`*)

 

 

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アファメーション、やり方やコツにとらわれすぎないで

 

森

 

今回はいただいた質問への回答です。

 

いつもメルマガをありがとうございます♪

毎回 楽しみにしています。

ところで、

「アファメーションするためにアファメーションする」

という言葉を読んで 自分が本当はそうなのかそうじゃないのか、

すごく気になってしまって自分でわからなくなってしまいました。
そういうのって自分でどのように見分けることができるでしょうか?
そしてもし、やっぱりちょっと残念な方向に向かってる感じだったらどのようにすれば良いのでしょうか?
また、このように気持ち的に躓いたような状態でもアファメーションは続けてる方が良いでしょうか?

そのまま続けてください、特に問題はありません。

 

アファメーションの効果が出ない人の中には、そこにとらわれすぎる人もいる

 

いつもメルマガを読んでくださって、私こそありがとうございます!

メルマガを読んでいない方のために、

「アファメーションするためにアファメーションする」

ということについての説明から入りますね。

 

 

「アファメーションをすると変われる!」

というお話を聞いて、そうかじゃあやるぞ!と意欲的に取り組んでいるうちに、

「まじめにアファメーションをすることそのもの」

が目的になってしまい、

「目標を達成するためにアファメーションをする」

というところから離れていってしまう人もいます。

 

 

うーん、たとえるなら…。

成績を上げるという目的を達成するための手段として勉強をするのが本来の在り方だと思うのですが、

「勉強をすることそのもの」

…手段そのものにとらわれてしまい、いかにノートをきれいにまとめるか?とか、

勉強机の上はきれいなほうがいいよね!と、整理整頓に必死になるような感じ?でしょうか…。

ノートをまとめることも整理整頓も勉強のために大切なことではありますが、

「ノートのまとめ方がキレイだと成績上がる」

「整理整頓が上手にできると成績上がる」

かというと、それはなんかちょっと違いますよね。

どこか頑張りどころがズレている感じがします。

でも本人は、成績を上げるためにまじめに頑張ってる!(確かにある意味まじめには頑張ってる)という意識が強く、

なにか本来の「成績を上げる」という目的からずれていることに気づかないことがあります。

 

 

同じように、引き寄せにおいてアファメーションというのはあくまでも、

「願いを叶える」という目的を達成するための手段なので、あまりに強く手段のほうにこだわる必要はないです。

願望達成のためにはやったほうがいいことなのは確かなんですけど、「こだわったほうがいいこと」ではない。

しかし懸命に、

「まじめに正しくアファメーションを継続しよう」

と思うあまり、いつのまにか願いを叶えることではなく、

「まじめに正しくアファメーションを継続することそのもの」

が目的にすり替わって、えんえんとアファメーションを続けている段階から抜け出せなくなり…、しかし本人は、

「私はちゃんと真面目にアファメーションをしているから効果が出て願いが叶うはずなのに、なんで変化がないの?」

と不思議に思う…ということがあります。

 

 

こういったことをメルマガ内で、

「アファメーションするためにアファメーションしている人は次の段階へすすめない」

とお話したことがあって、それを読んだ質問者さまは、

「えっ…私ってもしかして、これに当てはまっちゃってる!?」

と気になってしまったんですね。

 

 

いままさに、アファメーションのとらわれから抜け出そうとしている人から出る質問

 

では当てはまっているかどうか?についてなのですが、当てはまってます。

しかし、そこから抜け出そうという気持ちも強いですので問題はありませんよ~(*^^)

 

 

さっきの勉強の例をまた出しますが、こちらが、

「成績上げるために勉強するんだよ、勉強することそのものにとらわれすぎないでね」

と言ったとして、

「え、それなら…ちゃんといま私がやってるのが『成績を上げるための勉強』なのか、

『勉強することにとらわれている勉強』なのか見極めないと…うーんどっちだろう?

そこを見分ける方法ってなんだろう?

それがわからない状態では勉強しないほうがいいかな?」

と考え出して勉強する手が止まる人って、やっぱなんか、成績上げるという目的じゃないことにとらわれてますよね。

気にしてこういう質問をする、というのがとらわれの証拠です。

 

 

ただ、そのとらわれから抜け出そうとも思ってるんですよね。

完全にとらわれてきっていて自分のしていることは何も間違っていない!!と思い込んでいる人って、

「へぇ、そういう人もいるんだぁ~」

と完全に他人事みたいにしか思えず、よもや自分のことを言われているかもなんて発想すら出ずにせっせと見当違いのことをするもんです。

なので、

「とらわれてて、かつそのとらわれから抜け出したいと思っている人」

しかこの質問はしないだろうな、と思います。

 

 

ということで、あらためて質問者さまの質問に順に答えてみますね。

 

「アファメーションするためにアファメーションする」

という言葉を読んで 自分が本当はそうなのかそうじゃないのか、

すごく気になってしまって自分でわからなくなってしまいました。

意識の上ではっきりとわかっていないだけで、無意識のうちに質問者さまは、

「自分はとらわれすぎちゃっているようだ」

ということを理解しているし、そこから抜け出そうともしている状態です。

 

そういうのって(アファメーションにとらわれすぎているかどうかって)自分でどのように見分けることができるでしょうか?

「とらわれていないかどうか?」ということを気にする気持ちがあるかどうか、で見分けてください。

そこを気にするようでしたら、とらわれがあるんだと思います。

 

ちょっと残念な方向に向かってる感じだったらどのようにすれば良いのでしょうか?

とらわれている自覚がまったくないと残念な方向に向かいますが、

質問者さまは気づいて改善しようとしていますし、改善の方向に向かっていますので問題ありません。

特に何かをする必要はなく、今後同じように気になったときには、

「あぁ、私は気にしているな、とらわれる気持ちが存在しているのだなぁ」

と自覚し、認めればそれでOKです。

自覚できたとらわれは消えます。

 

気持ち的に躓いたような状態でもアファメーションは続けてる方が良いでしょうか?

気にして中断すると、かえってとらわれの中にとどまることになってしまいます。

表面的につまづいているような感覚になっていると思いますが、

実際には改善の方向に向かっていて、むしろ前進している最中ですし、

問題はありませんのでそのままアファメーションを続けてください。

続けていれば(自覚はなくても)さらに良い方向に向かいます。

 

 

アファメーションをしていて感じるつまづきが、つまづきとは限らない

 

忘れないでいてほしいな~と思うのが、

(質問者さまだけではなく、これを見ているみなさん全員に忘れてほしくないのですが)

引き寄せの法則は潜在意識から変える方法なので、

「変化は自覚できない」

というところです。

といっても、変わってくれば徐々にその変化が現実に反映されますのでいずれは気づくことにはなりますが、

「いま、このくらい、良い方向に(あるいは悪い方向に)潜在意識が変化した」

とかいうハッキリとした自覚は無理なんですね。

なので、意識の上で変わっていないとか、悪い方向に行ってるような気がしても、焦らないでほしいなと思います。

 

 

今回の質問者さま、潜在意識下ではちゃんと目標にフォーカスしています。

いま、

 

①願望を達成するぞ~という思考がちゃんとある

②「じゃあ願望達成のためには、このアファメーションに対するとらわれは解消したほうがいいな」と潜在意識が判断する

③解消のため「岡野真に質問する」という行動につながる

④とらわれを自覚し解消することによって、願望が達成しやすい現実へと変化する(①の現実化の最中)

 

という良い流れの中にいるんですけれど、顕在意識上で、

「ハッ!私の潜在意識がいま!『アファメーションに対するとらわれは解消したほうがいいな』という判断を下して!私にこの質問をさせているのだァッ!!」

とかいう自覚はなかなかできないので、意識の上では、

 

○すごく気になる

○自分ではわからなくなる

○残念な方向にいっちゃってるかもしれない

○気持ち的につまづいている

 

と、むしろ悪い方向に行ってるというか、迷路に迷い込んでいるような錯覚に陥って嫌な気持ちになることがあります。

今回の質問者さまは願望への思いが強かったので、途中で、

「もうわからないよ~。こんな気持ちがつまづいた状態で続けるなんて無理~」

とか投げ出さなかったのでよかったですが、そうやってやめる人もいます。

「ちゃんとアファメーションしているのに良い気分になれない!」

「アファメーションで良いことが起きるなんて嘘だ、効かないんだ!」

と早急な判断を下してやめてしまう人もいるのですが、

それはあくまで自覚できる範囲内で出した結論ですから、それが本当の結論だと思わないほうがいいです。

もう少し気長に続けてみてください。

参考になれば嬉しいです(*´ω`*)

 

 

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