落ち込みやすい性格を直すために、まずは原因を知る
今回は、落ち込みやすい性格を直したいと思っている方へ向けてのお話です。
直すためには、そもそもどうして落ち込みやすいのか?という原因がわかるといいですよね。
ではここで、いきなりですが明石家さんまさんのお話をします。
けっこう前の話なのですが、YouTubeでいろいろな動画を見てたとき、そのひとつに明石家さんまさんが出ていたことがあります。
で、別の出演者の方がさんまさんに、
「いつも明るいイメージですけど、落ち込むことってあるんですか?」
みたいに質問していました。
そしたらさんまさんが、
「ない。落ち込む人ってのは、自分のことを過大評価してるから落ち込むねん。
自分がもっとできると思うから落ち込む。
俺は何があってもこんなもんやと思っているから落ち込まへん」
みたいに答えてたんですね。
それ聞いて、確かにそうだわ~と思いました。
「もっとできるはず」という傲慢さが落ち込みやすい性格を作る
私はもともと非常に落ち込みやすい性格だったんですが、
なんで私はこんなにすぐなんでもかんでもに落ち込んじゃうんだろ~?
…ということを考えたとき、
「あ、それは私が傲慢だからだわ」
と思ったことがあります。
なにかがうまくできなかったときに、
「私には、これが上手にできる能力がないんだな~」
とは思わず、
「私はほんとはもっとできるはずなのに、そうであるべきなのに!」
と思ってて、もっとできる自分、というものを本物の正しい自分だと思っている。
それが本物の正しい自分であるべきなんだ、そうであってほしい…という強烈な願望がある。
なのでうまくいかなかったときは、
「なぜ(私はもっとできる人間であるべきなのに)できなかったの?」
「人に(もっと好かれるべき存在のはずの私が)嫌われたらどうしよう?」
という落ち込みや心配が生まれたり、
「あのとき(私には本当はできる能力があったんだから)ああしていれば…」
と後悔してしまう。
落ち込みやすさの原因は、自身を実際よりも過大評価する心…傲慢さです。
落ち込んでいれば傲慢なままでいられる
でね、
「本当の私はもっとすごいのよ!という思いが心の底にあるから、落ち込んでしまう」
…というのは言い方を変えると、
「落ち込むという行為をしている間は、本当は私はもっとすごいんだと思っていられる」
ということでもあります。
「なぜこんなことになるの・あのときああしていれば」
と考えるのってとっても嫌だし辛いことなんだけれど、これは、
「こうはならない能力があるのに・あのときああできる能力があったのに」
というふうに、私には高い能力があるのだということについて考えているということなので、
「落ち込む時間=自分は本当はもっとすごいんだぞと思っていられる時間」
なんですね。
その間は「望んでいるほどの能力がない本当の自分」というものと向き合わずにすむわけです。
なので、向き合いたくないという思考が強い人ほど、落ち込みが長く激しい。
私、
「これって、ちゃんと願望が実現してるってことだなあ~」
と思うんです。
自分をすごいと思いたいと願う思考があり、落ち込むという行為をすることにより、
自分のことをすごいと思い続けていられる現実を生きられているわけですので、
自分のことをすごいと思いたいという願いはちゃんと現実になっているということだと。
落ち込む性格を直したいVS傲慢なままでいたい
落ち込みやすい性格を直そう、というのは、自分の能力を過大評価するのをやめよう、ということです。
けれど、
「自分を過大評価するのをやめよう!」VS「自分を過大評価したい!」
という2つがぶつかりあって、後者の思考が勝つと人はどうしても落ち込んでしまいます。
ここで、
「なぜ、なぜ落ち込むのをやめようと思ってもやめられないの~」
と考えるより、
「ここまで落ち込むのをやめられないほど、私は自分のことをすごいと思いたいんだなぁ~」
ということに気づくのが大切かなって思います。
「そうかぁ~、だから私は落ち込んで苦しかったのかぁ~」
ということに気づくと、
「じゃあ、この苦しいのをこれからも続ける?それとも、やめようか?」
と、はじめてここで意識的に自分で選択できるようになります。
「自分を過大評価するのをやめよう!」VS「自分を過大評価したい!」
という2つがぶつかりあって、後者の思考が勝つと人はどうしても落ち込むとさっき書いたのですが、
ここで後者が勝つのって、
そういう対立が自分の中で起きているということを、自分で意識できていないから、
なんです。
あぁそういうことが起きているのねと自覚したうえでどちらを選ぶかと問われれば、人はたいがい前者を選ぶものです。
すると、
「あぁ、私は実際のとこ、たいしたことないなぁ~」
ということを卑屈にならずに受け入れられるようになります。
「でもそれがわかったおかげで、すごいと思いたいよう!という状態じゃなくて、ここから実際にすごくなっていけるんだなー」
と思えるようになっていき、落ち込みやすい性格は直っていきますよ(*´ω`*)
俺は、絶対落ち込まないのよ。
落ち込む人っていうのは、自分のこと過大評価しすぎやねん。
過大評価しているから、うまくいかなくて落ち込むのよ。
人間なんて、今日できたこと、やったことがすべてやねん。
(明石家さんま)
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願いが叶わない原因を知りたい方へ
今回は、引き寄せを実践しているのに一向に願いが叶わない、
どうしてなのか原因を知りたいと思っている方へのお話です。
叶わない原因として、
「ある矛盾に気づいていないから」
というものがあると思います。
その矛盾とはなにか?についてです。
引き寄せは、願いを叶えて「くれる」?
引き寄せでは、
「宇宙があなたの願いを叶えてくれる」
という表現が使われることがあります。
これを聞いて、
「わぁ、宇宙が私の代わりに願いを叶えてくれるんだ!」
と興味を持った人は多いと思いますし、私もそのうちの一人でした。
「自分が原因である」という言葉
で、そうして興味を持って引き寄せについて調べてみると、
「すべては自分の思考が原因」
「自分の思考に責任を持ちましょう」
といった言葉が出てきます。
私は最初、ここでほんの一瞬だけなにかモヤッとする感覚を心の隅に感じました。
ただ、そのモヤッは無視しました。
そんなことより、
「私なんかの願いでも、叶うかもしれないんだ!」
という希望のほうが大きかったので。
そして、ちゃんと引き寄せで言われているとおりにやろうとしたんです。
「自分の思考にすべての原因があるんだ、ちゃんと責任持とう!
そうすれば願いは宇宙が叶えてくれる!」
って。
でも、一向に願いは叶わない。
そんでもって、最初にチラッと感じた違和感はどんどん大きくなってくる。
なんで?なんで?
願いが叶わない原因はなに?
このモヤモヤの原因はなに!?
…とよくよく考えてみて、私は自分の考えが矛盾していることに気づきました。
「自立すれば依存できる」という矛盾
なにが矛盾しているというと…まず、
「宇宙がなんとかしてくれるんだ!」
この「くれる」というのは、自分以外のものになんとかしてもらいたいという依存心です。
対して、
「自分の思考に責任を持つ」
責任を持つというのは、自立です。
私は、
「自分の思考にちゃんと責任を持てば、宇宙が私の願いを叶えてくれる!」
って思ってたんですけど、これってつまりは、
「自立すれば、依存できる!」
ということです。
いや成り立たないよね?と。
「あぁ、心の奥底で『それ矛盾してね?』って気づいてたから、なんかモヤッとする感覚があったのかぁ」
と思った覚えがあります。
願いが叶わない原因は、「依存するために自立しよう」という不可能なことを両立させようとしているからだったんだなぁと。
もしかして、あなたも私と同じ矛盾を抱えてはいないでしょうか?
だとしたら、ちゃんとその矛盾に気づけてよかったです。
叶わない原因がそこにあると気づかない限り改善できませんが、
気づいてしまえば、あとは改善すればいいだけですからね(*´ω`*)
願いを叶えてくれると信じなさい、の意味
引き寄せでは確かに、
「宇宙が見守ってくれていると信じなさい」
というふうに「くれる」という言葉が使われることがありますが、これは、
「くれ、くれ、と依存していていいです」
という意味ではありません。
宇宙が見守っていてくださるという全幅の信頼…信仰心を抱きなさいということ。
篤い信仰を抱いたものは自然と、
「大きなものが見守ってくださっている私にならできるんだ。
だから、誰かがやってくれるのを待たず自分でやってみよう!」
と自立の道を行くし、そのように自立すれば願いは叶いますということ。
依存ではなく信仰を、信仰から生まれる自立を促す言葉です。
依存と自立。
この矛盾するものを抱えたままでいることが願いが叶わない原因であり、
そして、自立を選択する者にしか引き寄せは味方をしません。
思い切って、自立の道を選択してください。
勇気を出してそれさえしてしまえば、願いは叶います。
願いが叶わない原因は、自立と依存を両立させようとしているから。
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引き寄せの「うまくいかない原因はあなたにある」という意味
今回は、引き寄せがなかなかうまくいかない人が誤解しがちな点に関してのお話です。
引き寄せの法則って、
「思考が現実になる」
「うまくいくこともうまくいかないことも、すべて自分の思考が引き寄せた結果」
って言いますよね。
これ自体は本当のことです。
そしてこの言葉を聞いたとき、こう思う人がいます。
「そうか、残念だけど悪いことやうまくいかないことも自分の思考のせいで起きちゃってるんだな…。
人のせいにしちゃいけないな、うまくいかないものは全部自分に原因や責任があると思おう!」
と。
確かに、それ自体は間違っていません。
けれど、ここから何かが違ってきちゃう人がいます。
「こんなふうにうまくいかないのも私の責任だ」?
たとえば、道を歩いていて誰かがどかんとぶつかってきた。
相手は自分からぶつかってきたくせに、てめー気をつけろヴォケ!みたいに暴言を吐いて行っちゃった。
そこでこう思う人がいます、
「嫌だな…。でも、こんな嫌な出来事も私の思考が呼び寄せたことなんだ。
嫌だなんて思わず、自分の責任でこうなったと思おう…」
と。
いやいや、そりゃ違うぞいと私は突っ込みたい。
じゃあなんだ、通り魔に刺されても刺されたこっちが悪いのか、
そんなの刺すほうが悪いに決まってるじゃない(;´Д`)
引き寄せってなんかすごく万能な、偉大な、神秘の法則!
みたいに思われている節があると思うんですが、別に万能ではないんですね。
自分の思考でどうにもできないことも世の中にはいろいろあって、できないものはできないです。
どこまで必死に念じたところで他人の心を操ったりはできないので、引き寄せでは、
「他人はコントロールできません」
と言われてますし、今回の例がそれに当てはまりますね。
なんだか勝手にイライラしている人がたまたま近くにいて、
よくわかんない悪態つかれた、ということは、自分の思考とは関係なく起こります。
なのでこういう目に遭ったときに、自分のせいでうまくいかないことが起きたんだと思う必要はないです。
引き寄せでは「自分の思考に責任を持て」なんてことも言われますが、それは、
「理不尽な目に遭っても自分が悪いんだと思いなさい、その出来事の責任はあなたにあります」
な~んて意味ではまったくないです。
「うまくいかないのは私のせい」と思っているとなめられていく
「理不尽な目に遭っても自分が悪いんだと思いなさい、その出来事の責任はあなたにあります」
という意味ではないなら、どういう意味なのかというと、
「こんな目に遭うのも自分が悪いからなんだ…と、自分を悪者にする思考の責任はあなたにある」
という意味です。
嫌な奴が勝手にぶつかってきてぷんすかしてた。
これ自体は引き寄せでどうにかできる範疇のことではないので、
このことに対しての責任はありませんが、しかし、
「その出来事に対してどのように思考するか?」
はその人の選択だし、責任です。
ぷんすかしてる人にヴォケー!と言われたあと、
なんだてめーこそヴォケやんのかコラと思う人もいれば、
あら嫌なことでもあったのかしら大変ねぇウフフと思う人もいれば、
こんな理不尽な目に遭う私世界一可哀相と思う人もいれば、
こんな目に遭っても悪いのは自分なんだと思う人もいる。
こういったさまざまな考え方がある中で、「自分が悪いと思う」という考え方を選んだのは自分ですよね。
誰かに無理やりに、そう思考するように強要されたということはなく、自分で自発的にそうしています。
誰かにそうしなさいと言われたわけでもないのに自分からそうした。
ならばそれは自分の選択だし責任ですよ、ということです。
(大概、思考している時に「私は自分でこのように考えることを選びました」なんて自覚はないですけどね)
で、実際には自分は全然悪くもないし責任もないのに自分が悪いんだと思うことを選んだ…ってことはつまり、
「悪くなくても、私が責任をかぶります」
という道を選択した…ってことです。
では、「悪くなくても私が責任をかぶる」と思考している人はその後どうなっていくでしょうか?
これね、まず間違いなくなめられてうまくいかない方向に流れていきます。
無意識によりうまくいかない出来事を引き寄せてしまう
まず、そう思っていると無自覚のうちに顔つきとか話し方、態度が弱々しくなってきます。
相手の顔色をうかがうようになったり、悪くもないところで謝ったり、怒っていいようなところでニコニコすることが多くなる。
すると、
「気の弱そうな人だな」
とか、
「この人になら頼み事しても断らないだろうから頼んじゃえ」
とか、
「あの人になら八つ当たりしても怒らないからしちゃえ」
とかとかとか…。
そういうふうに思われることが多くなり、軽く扱われることが多くなります。
そうなるとやはりされた側としてはムカッ…と来たりするものですが、
しかしムカッと来てもこう思いますよね、
「ムカッとしちゃだめだめ、すべて私が呼び寄せたことなんだから」
「こんな八つ当たりされるのも、私が悪いんだから我慢しよう…」
そう思考して、ますます悪くなくても責任を負おうとしだす。
周囲はますます「こいつ使えるぞ」となめていくし、周りになめられればなめられるほどに、
「怒っちゃだめ、悪いのは私」
と強く思考しだす。
強く思考すればするほどに、周りはいよいよつけあがる。
どんどんどんどん、
「悪くもないのに自分が悪いんだと責任を負おうとする機会」
が現実に増えていっていますよね。
このようにして「悪くなくても責任を負います」という思考は現実化していったりします。
うまくいかない流れに乗っているのにそれに気づかない
怖いなーと思うのは、ここまでうまくいかない方向に流れていっても意識の上では気づかない、というところ。
こういうとき、人って顕在意識上ではこう思ってたりします。
「私、ちゃんと自分が悪いんだって認めようとしている。
すべては自分に原因があるっていう引き寄せの教えをちゃんと体現しようとしている。
だから、うまくいくよね?いま、うまくいく方向にいってるはず…」
と。
意識の上だと真逆にうまくいく方向にいってるはずだ、と思ってたりもするんです。
しかしいつまでたってもうまくいかないのでついに、
「ちゃんと引き寄せを実践しているはずなのに、なぜうまくいかないんだ?」
という疑問が出てくる。
ちゃんと「私は悪くなくても私が悪いことにする」という思考を実現できているので、
ある意味うまくいってると言えばうまくいってるんですけど、望む形ではないですね(;´・ω・)
もしこれを読んで、
「のわあああああ!!私のことだ!当てはまってる!!」
と思った方は、今日からぜひ思考を変えてみてください。
「引き寄せは万能ではない。私に非がないことが起きることもある。
そういうときに無理をしてありもしない責任をかぶったりしない」
と。
うまくいかないときには「なんだか嫌な気持ち」になる
さっき、実際うまくいかない方向に流れてるのに、意識の上ではうまくいってるはずだと思えると言いました。
ただこれ、完全に、まったくもってぜ~んぜんうまくいってないことに気づかないってことはないです。
うまくいかない方向に流れているときには、
「なにかモヤモヤする」
「なんとなくだけど、なにかが違う気がする…」
とか、うーん、なんというんでしょう、なんか違わね?みたいな納得のいかない感じがするはずです。
なにかモヤッとする感覚が起きたときには、
「え?なんか違う?」
と、自分の心をよく見つめてみてください。
どっかで、納得していないものに納得しているふりをしているとか、
違うと思っていることを正しいと思い込もうとしているとか、
正しいと思ってるけど認めたくないから間違っていることにしているとか、
な~んか、自分に嘘をついている部分があるはず。
それがなにかがわかれば、うまくいかないのは解消されますよ(*´ω`*)
「うまくいかない原因はあなたにある」という言葉を聞いて、
自分が悪くないことまで自分のせいにしていませんか?
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現実無視をするVS現実を受け入れる?
今回は「現実無視」についてのお話です。
潜在意識の力を使って願望を叶えるコツとして、
「現実(現状)を受け入れなさい」
と言われることがあります。
しかしその反面、
「現実は関係ない、現実無視をしなさい」
と言われることもあります。
え?
現実を受け入れるということと、現実無視をするってことは正反対じゃない?
どっちをやったほうが潜在意識にとって良いことなの?
と戸惑っている方もいるんじゃないかなと思いますので、ここについての解説です。
「現実無視=現実を受け入れる」である
これは、
「矛盾してるんだから片方しかできない」
と思うかもしれませんが、2つは同じものだと思うとわかりやすいと思います。
現実無視とはこういう意味ではない
仮にあなたの目標が、
「月収100万だぜ!」
とします。
このとき、「現実無視をしろ」というのをやろうとして、
「私はいま現在、月収100万だ!
実際にはもっと収入が低い現実なんて、無視無視!!」
と無理やりにすでに月収100万だと思い込もうとする方もいますが、そういう必要はありません。
もし仮に本当にそう思い込んじゃったら、
それって妄想にとりつかれていることになりますし、
本気でいま現実の収入が100万だと思っているなら、
今後100万を目指す必要はなくなってしまうからです。
まずは、
「どうあがいても、どれほど悲しくても、今は100万もない」
という事実(現実)とは向き合ってください。
現実にまつわる感情を無視しろという意味
すると、さまざまな嫌な考えが湧きおこってきますよね。
悲しいとか悔しいとか、これからどうやって100万になるんだ?とか、
もしなれなかったらどうしよう、などなど…。
こういったネガティブ思考にとらわれてしまうと、その思考が潜在意識の力で実現してしまいますので、こういうものは無視したほうがいいですね。
つまり現実無視というのは、
「現実に対するマイナスな思考や解釈を無視」
という意味であって、「現実そのもの」を無視しろという意味ではありません。
現実を見たとき、普通は人は心が騒ぎます。
「ここがこうだ、足りない、もう最悪どうしよう」
とか。
けれどその心のざわざわ(もう最悪どうしようの部分)を無視したとき、
ただただ純粋に、
「ここがこうだ。足りない」
という純然たる事実だけを見たとき、人は、
「そうだな、ここがこうで足りないな。ではどうする?」
と考え始めます。
これが現実を(余計な思考を加えず無視し)受け入れられたということ。
現実を受け入れた人は現実無視をした人だし、
現実無視をした人は現実を受け入れた人です。
「現実を受け入れなさい」も、「現実無視をしなさい」も要は、
「純然たる事実と向き合いなさい」
という意味で、表現としては真逆ですが伝えたいことは同じです。
現実無視(現実の受け入れ)によって潜在意識は働きだす
こうして、
「足りないから嫌だよー、足りないのは最悪だよー」
というのではなく、
「そうだな、足りないな。だったら、どうするんだ?」
というところにきたとき、そこから潜在意識は、どうすればいいかを全力で考えて動き出します。
そして、
「どうするんだ?」
というところまで来たらそれと同時に、どうするかは考えないようにもしてみてください。
ここから先は顕在意識上でどうしよう?ああしようか?と考えるよりも、
潜在意識に任せたほうが手っ取り早いですからね(*´ω`*)
潜在意識に任せたほうが手っ取り早い理由について。
潜在意識を使うコツ、「現実無視」と「現実の受け入れ」はどちらも同じ。
ともに「純然たる事実を見なさい」という意味。
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自分はダメだと思い、自分を守ろうとする心理
今回は、自分がダメすぎて嫌になる…という方へ向けてのお話です。
誰だって自分のことをダメだなんて思いたくはないはずなのに、
どうして人ってそう思っちゃうのでしょうか?
その理由はいくつかありますが、そのうちのひとつに、
「自分をダメだと思うことで、自分を守っている」
というものがありますので、今回はそれについてです。
「自分はダメでした」というAさんとBさん
たとえば、会社でAさんとBさんがミスをしたとします。
AさんBさん、ともにすごく反省している様子で、
「すみません…今回のミスは本当にダメだったと思います…」
としょんぼりしています。
それを聞いた上司のあなたは、
「そこまで反省しているならまぁ…いやいや、
こんなミスを繰り返されては本当にたまらないぞ、もう一言だけ言っておこう」
と思い2人に、
「そうだね、このミスは本当に良くなかったよ。気をつけて」
と念押しをしました。
するとAさんは、
「…はい、その通りだと思います。気をつけます」
と言い、Bさんは、
「……確かにダメだったかもしれないけど…。
…私なりに一生懸命やったのにそこまで言わなくてもいいんじゃないですか?」
と言いました。
どうでしょう、これ、
「あ、Bさんはたいして自分のしたことをダメだと思ってないな」
ということに気づくんじゃないでしょうか。
ダメだと責められたくないので先取りで自分を責める
Bさんのほうも、そりゃあ悪いと思っているんだとは思います。
しかしそれ以上に、
「自分を守りたい、人からダメだと責められたくない」
という気持ちが強いですね。
なので、一見芯から反省しているかのようなふりをしてみせて、
「そこまで反省してるならもういいよ」
と、相手が許してくれることをどこかで期待していた。
ところがさらに釘を刺されたことでカッとなり、
「なんでそこまで言うの?(そこまで言わず私を許してよ)」
という、自分を守りたいという本音が出てしまった。
これと同じで、
「私は本当に○○なとこがダメなんです…」
というとき、
「そうだね、ダメだと思うよ」
と言われて、カッときたり泣いたりする人は、本当に芯からは自分をダメだとも嫌だとも思っていない、と思うんですね。
ダメだ・嫌だと思っていることは思っているのですが、
しかしそれ以上に、「ダメだ」というその事実を直視したくないという気持ちがあり、
なんとかかんとか自分はダメじゃないんだ…と思おうとしている。
自分はダメだ、という事実から自分を守りたい…。
ダメだという事実から身を守るためには、どうすればいいだろう?
すると、先取りで自分から「自分はダメだ」と思うことにしようとなる。
自分をダメと責めてから自分で許す一人二役
Bさんは、先取りで自分のことをダメだと言うことによって、
「そこまで反省してるならいいよ」
と相手に言ってもらえることを望んでいましたよね。
人って、相手が「自分」でもそうしてしまうんです。
自分から自分をダメだと言うことによって、心のどこかでは、
「ここまで自分を責めてるんだからいいだろう」
という、自分を許せるような、慰められるかのような感覚が生まれます。
一人二役をやっている感じです。
自分で自分に「ダメだ」と思うことで、自分で自分に、
「ダメだとわかってるならいいんだよ、わかっていないよりまだマシだよ」
と思える。
自分をダメだと思いたくないがために、自分をダメだと思い始める。
自分をダメだと責めているうちは、自分をダメだと思わずにすむ。
そんなややこしいことが起きてきます。
こうなると、
「自分をダメじゃないと思うわけにはいかない」
です。
ダメだ、嫌になる…そう思うことで自分を守っているのだから、
ダメじゃない、嫌じゃないと思ってしまうと、自分を守るすべがなくなってしまいます。
なのでこのような状態にある人は、
「ダメじゃないと思おうとしても(それをすると自分を守れなくなるので)思えません」
となります。
Bさんは「本当に良くなかったね」とダメ出しされたことで、
自分を守り切れなくなってカッとしてしまいました。
自分をダメだと責めることで自分を守っている、という人も、
なにか自分を守り切れないと感じたときには怒り狂ったり、異様に落ち込んだりします。
怒る、というのはストレートに牙を向き、自分を傷つけた相手を認めまいとする行為。
異様に落ち込む…というのは、
「あなたのせいで私はここまで落ち込みました」
「もうここまで落ち込んでいるんだから、これ以上はやらないでくださいよね?」
とプレッシャーをかける意味があったり、
さらに強く自分をダメだと思考することで、より一層自分の身を守ろうとする行為です。
そうしてさらにガードを固めて、自分はダメだという事実を直視しないようにします。
心底から自分がダメだと思ったとき、人は必ず変われる
本当に自分をダメだと思っている…という人って、Aさんみたいな態度になります。
「確かにダメだった。嫌だけど、それが現実だ」
と受け止めるので、わりと静かに「確かにそうですね」と認めます。
そして、そういう人は変わります。
人間って、誰だって自分をダメだなんて思いたくないものですよね。
自分に価値がないだなんて思いたくはない。
意味がある存在だと思いたい。
これは生まれ持った本能のようなものだと思います。
なので、心底から「私はダメ」と思ったとき、絶対に人はその状態には耐えられない。
「そんなの嫌だ!」という本能が湧き出てくるので、そこから、
「では、どうやってこの嫌な状態から抜け出せばいい?私はどうやって変わろうか?」
と変わろうとしだすんです。
自分を責めて…泣いて、怒って…というのは、現状を受け入れまいと拒否する行為。
でも、
「私は、ここがダメなんだな」
「どんなに嫌でも、これが現実なんだ」
ということを芯から受け止めたとき、現状を受け入れたとき、人は変わる。
受け入れた瞬間から、
「このままではダメならば、ではこれをどう変えればいいのだろう?」
と、より良くなろうとする本能が出てきて思考が前向きに切り替わるように人はできているから。
「自分のことを本当にダメだと思う」
なんてこと、しちゃいけないというか、そんなの救いがないように思えるかもしれない。
そんな救いのない状態になりたくなくって、
なんとか自分をダメだと思わずにすまそう…と人はするんだろうけど、
「自分の弱さとかダメな部分を認めるというのは、自分をダメだと認めることではなく、今の自分より強くなること」
なんですね。
本当に自分をダメだと思った人、というのは、自分に絶望した人のことなんかじゃない。
むしろ強い希望を抱けた人です。
「私は、ここがダメなんだな」
ということを直視し、ダメなのはあれのせいだ、これのせいだ、なんて言い訳とかを一切つけない強さを持った人。
自分の責任を、自分で負うことを覚悟した人。
とても強くて前向きな人のこと。
強くて前向きな人は、うまくいって当然、変われて当然です。
人から「本当にそこがダメだね」と言われたら?
いまあなたは、
「自分のこういうところがダメだ…」
というふうに思っていますよね。
一度勇気を出して、
「誰かから、『本当だね。確かに、あなたのそういうところはダメだと思うよ』と言われたらどんな気分になるだろう?」
と想像してみてください。
想像してみて、
「こっちは落ち込んでるのに、よくもそんなことを言ったな!」
とカッと来たり、
「やっぱり、どうせどうせ、どうせ私はダメな人間なんだ……」
と強い落ち込みを感じるのであれば、先取りで自分をダメだと思うことで、
人や自分自身からダメだと思われることを回避しよう、という思いがあるのだと思います。
その回避ができなくなったので、動揺する。
でも想像してみて、心にズキン…とは来るものの、
「…そうか…。人から見てもやっぱりダメに見えるのか…。
…これは本格的に、私のなんとかしたほうがいい部分みたいだな…」
と思えるなら、それはあなたが本当に自分のことをダメだと思えている証拠だと思います。
ひいては、それを変える強さも持っているということ。
そう思える人は、ここから自然と変われますから大丈夫ですよ(*´ω`*)
自分をダメだと思うことで、自分をダメじゃないと思おうとすることもある。
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「相手を許すと良い引き寄せが起きる」について
今回は「自分を許す」ということについてです。
その前にまず、前回の「他人を許す」というお話についてもうちょっと詳しく話そうと思います。
「許す」と「赦す」を分けて考える
まず、「許す」と「赦す」を明確に分けて考えてみてほしいです。
許すというのは、なにかを許可すること。
赦すというのは、憎しみ・恨みを手放すことです。
引き寄せでよく言われる「他人を許しなさい」というのは「赦し」のほうですね。
(ふだんあんまり赦すって漢字は使わないので、許すって表記されてますけど)
たとえば、会社で部下がミスをしてしまった、というとき。
○許す→「ミスしちゃったの、別にいいよー。これからもミスしてもしょうがないよ」とミス自体をしてもよいものと許可する
○赦す→ミスはしてはいけないことなのでミス自体は許可しない。ただ、ミスしたからといってその相手を憎んだりしない
という違いです。
多くの人が「他人を許す」というときに、「許可」のほうを与えようとしているように思えます。
「まだ新人だからミスしてもしょうがないと思おう…」
「きっと悪気があってやったわけじゃないし、ミスしたからって怒っちゃだめ…」
とか、ミスしたこと自体を「してもよかった・しょうがなかった」と許可しようとしだす。
「新人はミスしやすい」
「悪意がなくてもうっかりしてしまうことがある」
これは確かに仕方のないことですから、そこは認めて許可すると良い部分だと思います。
でも、
「あなたがミスしやすい状態にあることは許す。しかし、ミスをしたことそのものは許可できない」
と、明確に分けて考えてミスに対策を打たないと、ミスがなくならないですよね。
ここで、
「あなたはミスしやすい状態にあることを許す、ひいては、ミスしたことそのものも許可する」
だと部下は伸びないし、自分も困るままなのですが、多くの人がこれをやっちゃってるように思います。
「相手を認めること=相手のすることを認めること」
みたいにつなげて考えている人が多いように感じるんですが、
「相手を認めるが、しかし相手のした『ある特定の行為』に関しては認めない」
という線引きができないとなにかがおかしくなっていってしまう。
悪口を「許す」必要はない
悪口を言われたとき、
「中には悪口を言う人もいる」
というのはしょうがない部分だし、認められると良いことだとは思いますが、
「中には悪口を言う人もいるので、この人がそういう人であることは認める。
しかし、『悪口を言うという行為そのもの』は私は嫌いだし、許可できない」
と明確に分けて考えたほうがいいと思うんです。
そこを分けて考えてしっかり意識できると、悪口に対して、
「私は許さない、屈しない」
と毅然としていられるし、同時に、
「でも、相手がそういう人間であることはしょうがないよね」
と相手のことは認めているので、
「悪口を言う相手をどうしてやろうか?」
なんて考えに取りつかれることもない。
毅然として、かつ穏やかでいられる。なので人間関係がうまくいく。
でも、
「中には悪口を言う人もいるので、この人がそういう人であることは認める。
ひいては、悪口を言われてもその行為を許可しましょう」
というふうに…「相手を認める=相手の行為を認める」と考えていると、どうしても心の底で、
「なんで悪口言われたことなんて許さなきゃいけないの」
という納得できない気持ちが生まれて許せない。
相手の行為が許せないということは、それとイコールでつながっている「相手そのもの」も許せない。
こうなると、
「アイツをどうしてやろうか」
「どうしても頭から離れない、謝ってくれないと気が済まない」
なんて、悪口を言う相手をどうにかしようと躍起になってしまったりもする。
これが相手への恨みを潜在意識下に抱えたままの状態、赦せない状態。
ときには「許さない」と決意することも大切
私は、
「相手を赦せない」
っていうのは、
「相手を認める=相手のしたことを認める」
と、2つをイコールで結びつけて考えているから起こることなんじゃないかと思います。
相手を赦すということをするためには、ときには、
「それは許可できない、私は受け入れない」
と、断固なにかを「許さない」と決意することも大切だと思います。
そうして、嫌なものは嫌だと認めて嫌なものからは距離を置かないと、
自分の人生はずっと嫌なものがある状態のまま変わらなくなる。
ずっと嫌なものが近くにあるなんて状態では、相手を赦そうなんて心の余裕も持てなくなる。
引き寄せは「相手を赦す」ということはすすめているけれど、
「相手のした行為をなんでもかんでも許可しなさい」
とはすすめていないです。
「相手を認める≠相手の行為を認める」
「相手を赦す≠相手の行為を許す」
です。
ノットイコール。2つは別のものだと覚えておいてほしいなと思います。
相手の行為を許さなくても、相手を赦すことはできます。
イコールでつなげず分けて考えると、うまくいきます。
できない自分が許せない…という心理はどんなもの?
ではでは、自分を許すということについて。
この場合も、よく使われる漢字は「許す」のほうだけど本来は「赦す」を意味していますよね。
自分自身への憎しみ、自責の念を捨てることを指しています。
この「自分を赦す」ということがどうしてもできません…という人は、
自分でも気づかないうちになんとなく潜在意識下で、
「相手を認める=相手のしたことを認める」
というのと同じように、
「自分を認める=自分のしたことを認める」
と2つをイコールでつなげて考えてしまっているから自分を認められない・自分を赦せない…となるんじゃないか?と思います。
さっきの新人のミスだと、
「ミスしたのはしょうがないよ」
とミス自体をしてよかったこととしてしまうと、その後その人は伸びない。
「あなたがミスしやすい状態だったのは認めるしそこは責めないけれど、ミスしたことそのものを『OKだよ』とは許可できないから改善を」
としないと今後につながらないですよね。
全く同じように、自分がなにかをしたときに、
「しでかしてしまったことそのもの」
を許可しようとすると、自分が伸びなくなるのですが、それをしようとしている人が多いように感じます。
勉強しようと思ったのにダラダラとテレビを見てしまった、というとき。
「それをしてもいいんだよ、してもしょうがなかったんだよ、そんな自分を認めよう」
と、その行為も含めて良しとしよう、みたいな感じ。
その行為を許すのは良くないと潜在意識下で気づいている
ですが、その行為は…してもよい、ということにして良いのか?と。
「ダラダラとテレビを見る自分を認める」
ということをしてしまうと、ではテレビを見ていていいことになるし、勉強できる自分になれない。
これは単に自分を甘やかしているだけ。
そして、ほとんどの人は、
「これって単に自分を甘やかしてるだけなんじゃないの?」
「こんなことしてて、本当に自分は良くなれるの?」
ということに、心の底の底では気づいている。
ミスした新人を甘やかしても伸びていかないことはみんなわかっているのと同じように、
ダラダラした自分を甘やかしても自分が伸びていかないことは本当はみんな、すでに知っている。
だから潜在意識下で、自分でも気づかないうちに「それおかしくない?」というストップがかかり、
「自分を赦そうと思っても赦せません」
となる。
許さない強さを持つことで赦せる
こういうときには勇気を出して、
「私の、ここが良くないのだ」
と、自分のした行為を否定してみると良いと思います。
それは怖いことかもしれません。
自分のした行為が良くないことと認め、改善しなきゃいけなくなるのは、とても面倒だし恐ろしいことのように思えますよね。
でも、自分の行為を「許可できない」と自分で言えたときには、ある種のすがすがしさが生まれることに気づくと思います。
「自分を認める=自分のしたことを認める」
こう考えている人は、自分の改善点を認めたがりません。
自分のしたことを良くないことと認めるということは、それすなわち、自分が良くない人間だと認める、ということだと思っているからです。
自分をダメな人間だと思いたくない…。
そういう潜在意識下の思いが強い人ほど、自分のした行為を「良くなかった」と認められなくなります。
「良くない」と言う勇気を持てたとき、そんな自分を好きになれる
でもこれ、うーん、こればっかりはやってみないとわからないことなので言葉で説明しても実感はできないと思いますが、
思い切って、自分のした行為を良くなかった、と心底から認めたとき、
「私は成長した」
という自負が生まれるものなんです。
認めるのが怖くて逃げ回っていたものと対峙したのですから、そのとき人って確実に、
「私は、逃げるのをやめて立ち向かった」
「今までよりも強くなった」
という自信が湧くものなんです。
すると、
「あぁ、自分の弱点や改善点を認めるということは、自分をダメだと認めることではなくて、強くなるということなのだ」
と気づきます。
そうしてひとまわり強くなってから改めて自分の弱点を見ると、
「あれ、克服するのはひどく大変だしできそうにないと思って怖がっていたけど、そうでもない。できそうだ」
と思えるものなんです。
さっきすがすがしさが生まれると言いましたが、それはこういった自負・自信・気づき・できるという希望を得たときのすがすがしさです。
「弱点を認めるのは、自分を弱い人間だと認めること」
という思い込みから解放され、
「弱点を認めるのは、強くなるということ」
というのが、理屈ではなく心で感じられたとき、人は変われます。
自分に対して心から、
「これは許可できない点だ、私の弱点である。
でも、私自身が弱いとかダメなわけではない。その弱点は克服できる人間なんだから、やってみよう」
と思える。
「自分を赦す≠自分の行為を許す」
ということを、腹に(潜在意識に)落とし込める。
自分の行為を許さないことで、許さない強さを持つことで、その強さで自分を赦すことができるようになるんです。
こればっかりはやってみないとできるようにならないから、最初は勇気を出してやるしかないんだけど…。
「許せない」はあくまでも行為のみを見て言って
赦す…というのは、なんだか優しい感じのする言葉です。
が、私はある程度「これは許可できないものはできない」という厳しさを持っている人にしか、赦すことはできないと思っています。
なので、
「○○してしまったけど、そんな自分を良いと思おう」
としていても思えないならば逆に、
「私が今回○○したということ、その行為は本当に良くないことだったな」
と思うようにしてみてはいかがでしょうか?
このとき絶対に忘れてほしくないのは、良くないのは「行為」でしかないということです。
新人がミスしたとき、
「ミスしたあなたという人間は、ダメね」
とまで言う必要はありませんよね。
同じように、
「○○した私は、ダメな人間だ」
なんて考える必要はない。
「行為そのもののみ」に限定して、良くない、と言ってみてください。
それができるとひいては、
「しかし、私はまだまだこれから伸びるのだから、これくらいのことは克服できる」
という強さも生まれます。
そしてその強さで、自分を赦せます。
「良くないものは良くない」そう認められたとき、自分を赦せる強さが生まれる。
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引き寄せの法則で「相手を許すことで豊かになる・幸せになる」というのは本当か
今回は、許しに関してのお話です。
よく引き寄せでは、相手や自分を許すと幸せになれると言いますよね。
これは本当か?というと、本当だとは思います。
なぜか?というと…。
人って何か被害を被ったと感じたときついつい、
「あの人のせいで、私は不幸になった」
と考えます。
そして相手に謝罪や反省など、態度を改めることを求めます。
「あの人が変わってくれれば、私の気が済む、私は幸せになれる」
と思って。
これって、自分の幸不幸は相手の意志・行動に委ねられているということ。
幸せになるためには、その相手が必要になってきます。
あの人のせいで不幸になった…ということは、ひいては、
「私は、あの人なしでは幸せになれない」
と認めたということ。
なので、憎い相手から離れないでいる人もたくさんいます。
私自身もそうだったのですが、
「親のせいでこうなった」
とひどく憎みながらも、ずっと同居していました。
はたから見れば、
「そんなに嫌いなら家を出れば?」
と思うかもしれませんが、家を出て相手から離れてしまうと、
相手を変えようとする機会・反省や謝罪をしてもらう機会を失う
↓
相手が態度を改めることで自分が幸せになれる機会を失う
ということですから、憎くて仕方がないのに離れるわけにはいかない、となります。
「憎い相手に変わってもらう」という方法以外で、どうやって幸せになればいいのかわからないと、こうなります。
こうして、嫌いなはずの相手から離れられないでいる人もたくさんいます。
不思議ですね、そこまで憎んでいるのに、その人なしでは幸せになれないなんて。
そこまで憎んでいるのに、その人が誰よりも必要だなんて。
そんなおかしな状態を作り上げてしまうのが、
「あの人のせいでこうなった」
という思考です。
誰かを憎んでいない人は、そういうことはない。
自分が幸せになるかどうかを自分で決められる。
自分の幸せを自分で決定できる人と、
自分が幸せになれるかどうかが他者にかかっていて、その人がいないと幸せになれない人。
これはやはり、前者のほうがより幸せになれますね。
憎しみを手放し許すことで、
「憎い相手に頼ることなく幸せになれる」
という段階にいけますので、やはり許すことで許していないときより幸せになれるというのは本当のことだろうとは思います。
許したいけど許せないのは、心理下に「許すと不幸になる」という思いがあるから
こういったことは、引き寄せについて読んだりしたことのある人ならもう知っているかもしれません。
それで多くの人が、
「では、幸せになるために相手を許そう」
と思いはじめます。
それ自体は悪いことではないのですが、許そうと思ってハイそうしましょと許せるものではなく、許したいのに許せないと苦しむ人も出てきます。
では、なぜ許せないのか?
なぜかというと上で書いた、
「その人が態度を改めてくれないと幸せになれない」
という考えと、
「幸せになるために許そう」
という考えは対立するし、前者が勝ってしまうからですね。
「相手が態度を改めてくれれば→私は幸せになれる」
というのは、
「相手を許せば相手は態度を改めなくなる→私は幸せになれなくなる」
ことを意味しますので、心の奥深くでは、
「相手を許せば自分の不幸が決定する」
と思っている。
心底でそう思っているときに、どれほどネットとか本とかで、
「相手を許すことで自分は幸せになれる」
という言葉を聞いてそうしようとしてみても、心の奥底の強い思考、
「許せば私は幸せになれない」
のほうが勝つので、許せない。
自分が幸せになりたいと望む限り、相手を許すことはできなくなります。
これは、自身がそう思っているのだなぁということが自覚できると変われると思うのですが、
なかなかその自覚が持てない人も多いように思います。
意識の上では、「あんな奴死ねばいいのに」とか思っているし、ものすごく必要のない相手に思えるんですよね。
いなくなっても構わないと強く思っています、顕在意識上では。
よもや自分が心の底では「どうか幸せにして!」と相手にすがっている状態だなんて思いもよらないという人が多いし、
薄々そのことに気づいていても、
「あんな奴に私が頼っているだと!?絶対私はあんなヤツ、必要なんかじゃないもんね!!」
なんて気持ちがあって、自分が相手を必要としているということをうまく認められない人もいる。
まっすぐに、
「私は、あの人を必要としているのだ」
ということを見つめれば、そこから、
「いいや、そんな生き方は嫌だ!!」
という確固たる決意が生まれて生き方を変えられるのですが、
その自覚が曖昧なので、ひいてはその自覚から生まれる「嫌だ!変わろう!」という決意も曖昧なままになります。
変わろうという意志が曖昧なままならば、変われません。
しかしそういうことに自分で気づいていない状態だと、表面的には、
「なぜ変わるために(幸せになるために)こんなにも許そうと思っているのに、許せないのだろう?」
となります。
許すのが大事、感謝するのが大事と思い、人に舐められていく人もいる
あと、必死に許そう許そうとしている人の許し方って、
なにかちょっと違っちゃってるんじゃないかな?と感じることもよくあります。
「寛容な心を持てば、相手のことを許せる心があれば、自分は憎しみにさいなまれて辛い思いをしなくてすむ」
「だから、相手のすることを許せるようになろう」
…ということ自体は間違っていないと思うんですけど、なんか許し方がヘン?と思うことがあるんですね。
たとえば…、相手にひどい扱いを受けても、
「こんなことで怒っちゃいけないわ」
とか、
「相手はきっと私のためを思ってやってくれたのだわ、感謝しなきゃ」
とか思ってる人がいます。
なんというか、相手が何をしてきても腹を立てまい、感謝しよう、というスタンスの人。
「それのどこがいけないの?」
って思うかもしれないんだけど…私はこれ、許すことと赦すことの区別がついてないんじゃないかしら?と思えるんです。
○許す…なにかを許可すること
○赦す…怒りや恨みを手放すこと
です。
うーんと、例えば、あなたにお子さんがいてどっかで万引きしてきたとします。
○許す→「あら盗んだの、いいのよ~、欲しかったんだからしょうがないよね」と盗んだことを許可する
○赦す→盗みをしたこと自体は許可せずしっかり戒める。しかし、盗んだことで子を憎むわけではない
あるいは、あなたがいじめられたとする。
○許す→「いじめてもいいよ、怒らないでニコニコしてます」といじめという行為を許可する
○赦す→いじめ自体は許可しない。しかし、いじめられたときの憎しみは乗り越えて手放す
みたいな違いです。
許そうとしても許せないって人は、許可のほうの「許す」をしようとしてるように見えます。
「過去に私をいじめた人を許そうと思ってもどうしても許せません」
という人がいたりしますけど、そういう人って「いじめ」という行為自体を、してもよかったんだよと許可しようとしてるんじゃないのか?と。
でも、そこは許可するところではない。
相手にも事情があったかもしれないけど、いじめていいわけではない。
相手にも事情があったかもしれないから、いじめられてもしょうがなかったと思おう…とか、
相手の行為に許可を与えようとするから、できない…となるんじゃないかな。
別にそれはできなくていいと思うんですね。
そこを許可したら、人からなめられるようになっていくだけだと思います、
相手が間違っていても何も言わない、ひどいことされても何も言わない人間になるってことですから。
それはなんか違うだろうと自分でもなんとな~く感じていて、だから許そうとしても許せない。
でも、自分のしていること(許そうとすること)は良いこと、すべきことのはずだ…と意識の上では感じるので、
「すべき良きことをできない私は未熟なのでは?」
と思ってしまう。
いや、別に未熟ではない。
そこは許可しなくていいところです。
許可してなめられていく人もいるけど、なめられても幸せになれるわけではない。
相手を赦すためには、相手を許さないこともときには大切
私がはっきり意識してほしいな~って思うのは、
「許さなくても赦すことはできる」
というところです。
子が盗みを働いたとき、盗みを許さなくても子を赦すことはできますよね。
というかむしろこういうときは、赦しは必要でも許しはいらない、すべきではないと思います。
「盗んじゃったのね~、でも許すわよ~」
だとどうかな、それだと相手との良い関係は築けないんじゃないかな。
同じように、いじめを受けたとか、虐待されたとか、こっぴどくふられたとか、裏切られたとか、
そういうときに、「いじめ・虐待・酷い扱い・裏切り」そのものをしてもよきことと許可する必要はない。
それをしてもよいこととしてしまったら、なめられて、同じようなことする人に狙われるよ。
そういうことする人って、そういうことを許してくれる人を見抜くのがうまいから。
そうではなく、
「私はそういう行いは絶対に許さない、許可しない」
と、むしろ許すものか!と毅然としたほうがいいと思います。
私はそういうことが嫌いなのだ、許せないのだ、と、断固許すまいとする。
それは、自分の意志を持つことです。
私はこれが好きだけどあれは嫌いとか、
私はここまでは許すがこれ以上は許さないとかをはっきりさせるということは、
自分の人生を生きる上で、
「自分の意志でなにが良いか悪いかを決め、自分で良い方を選んでいこう。自分で悪いものは遠ざけよう」
という意志を持つことです。
なまじその意志を封印して許可を与えようと思うから、相手のことを許せないままになってしまい、心理的な縁が切れない。
絶対にそんなことは許可できないと心の底から拒否すれば、相手とは一線を引いたということなので、相手から心が離れられる。
それは、憎んでいる相手に幸せにしてもらおう…という依存的な状態から脱すること。
自立をすること。
自分の力で幸せになろうという強さを持つということ。
自分の力で幸せになろうという強さがある人は、幸せになれる。
そして幸せになるほどに、恨みは消えて赦しに近づきます。
人を許さなくても赦すことはできる。
あなたが許可したくないものはしなくても、幸せになれる。
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引き寄せでは結局、行動は必要なのか不要なのか?
今回は、「行動」についてのお話です。
引き寄せって、
「願えば現実になる、イメージすれば現実になる」
とよく言われますよね。
これを聞いて、
「そうか、引き寄せではなんの行動もしなくっても夢は叶うんだ!」
と思って引き寄せに興味を持った方も多いと思います。
私もその一人で、
「ただ願うだけでいいんなら超お手軽じゃん!努力とかしなくていいじゃん!」
というのが引き寄せをやってみようと思った動機です。
でもでも、引き寄せについて語っている人の中には、
「行動することは必要です」
と言っている人もいる…。
え?やっぱ行動しなくちゃいけないの?どうなの?
と、なんだかここのところがよくわからない人もいると思うんですが、結局どうなのさ?というと、
行動は必要です。
ただ、引き寄せで必要な行動というのは「努力の伴わない行動」です。
一生懸命頑張るぞ!といった努力は不要なのですが、なにかを行うことは必要、ということ。
人は好きなことならば、努力だと思わず行動する
たとえばあなたがめっちゃゲームが大好きだとして、
もうずーっと前からものすっごい楽しみにしていたゲームソフトが発売されるとする。
ひゃー、もういてもたってもいられない!くらいにワクワクして、ソフトを予約していたお店に買いに行き、ゲット!
…というとき、あなたは確実に「行動」はしてますよね。
ゲームについて調べたり、お店に予約を入れたり、当日に起きて着替えてそのお店まで出かけたり、などなど。
ゲームを手に入れるという目的達成のために必要な行動はしている。
ただ、その行動をしているときに、
「私は目標達成のために、いま懸命に努力しているのだ!」
とかは思わないはずです。
もうウッキウキで誰に言われずとも、「やりたくてやっちゃう」と思うんです。
ゲームが苦手な私からすると、
「よくあんな大変なことができるなぁ…」
と思うんですけど、ね。
だって、ゲームの途中でむずかしい謎解きが出てきたり、なかなか倒せない強い敵とか出てきますよね?
私は昔ゲームやったことあるけど、それが大変で、苦痛でですね…、
どんなに「頑張ってやるぞ!」と思っても、とにかく辛くてしょうがなくってできないし続かない(;^ω^)
という話をゲーム好きの友人にすると、
「それをやるのが醍醐味じゃねーか!それやらないでなにが楽しいんだ!」
と言われます。
まぁ好きな人からすると確かにそこが醍醐味ですよね、強い敵がいるからこそ燃える!わけであって、
一発で倒せる敵しか出てこないゲームとかなんやねんってなりますわな。
興味のない者からすると、「なぜそんな面倒なことを…?大変そう…」と見えることでも、
それが本当に好きな人は、「その大変さこそが楽しい」とすら思っている。
人は本当に好きなことに関しては、自分が努力してるかも?なんて夢にも思わず行動に出てしまうものです。
努力の伴わない行動をするための2つの条件
ただですね、あなたがウッキウキではじめたゲームでも買った直後に、
「ゲームにバグがありました。
途中の謎は解けないし、出てくる敵を倒す方法もありません。攻略できないゲームです」
とか公表されたときにゃあ、そこでやる気も失せると思います。
「ゲーム好きなんでしょ?じゃあ好きなことなんだしやりなよ」
とか言われたって、やっぱこれだと苦痛になると思うんですね。
人が「努力してる」という意識なしに行動できるのは、それが好きで、かつそれができるとわかってるときだけ。
好きじゃなければ当然苦痛なだけだし、好きでも最初からできないとわかりきっていたりしたら、やっぱ苦痛です。
つまり、「努力の伴わない行動」ができるためには、
①それが好きであること
②それができるとわかっていること
の2つが必要です。
で、人生がうまくいかないという人って、どっちかが欠けてるんです。
①好きでもないことをやろうとしている
②好きだけど、できないと思っている
どっちかだから、行動するときに「努力している」「努力しなきゃ」と感じてしまう。
なので引き寄せでは、この2つを満たすために、
①好きなことをやりなさい、ワクワクすることを選びなさい
②それができると確信しなさい
と言われます。
不思議なもんでですね、この2つが揃わないと人って楽しんで行動できないのですが、
裏を返すとこの2つさえそろっていれば、どんなことでも楽しんで行動しちゃうんです。
人生において、好きなことをし、そこにやれるという確信があれば、人は必ず努力を伴わない行動に出だす。
途中の困難さえも、「他人から見れば困難に見える」というだけで、本人は、
「だからこそ楽しい、それが醍醐味」
とか思って、困難だとすら思わずにやる。
もちろん、ときには嫌だな~とか面倒だな~とか思うこともあるかもしれないけれど、そこでやめたりはしない。
ゲーム好きな人が、謎解きしてるときにたまに「あー、わかんねー!」とイライラすることがあっても、
でも結局は途中で投げ出さずにやるのと同じことだと思うんですね。
なんだかんだで結局は、心の底ではそのイライラすら楽しんでいるからやる。
好きじゃないことをしていたり、どうせできないという思いが強い人からすれば、
「あれほどの困難、血反吐を吐くほど努力しないと乗り越えられない」
「なんであんなことができるんだろう、生まれつきすごい才能があるからか?」
とか思うんですけどね、それは見ている側に2つの条件がないからそう感じてしまうだけ。
①好きなことをやりなさい、ワクワクすることを選びなさい
②それができると確信しなさい
この2つができれば、周りが「すげぇ努力だ!」と言っちゃうほどの行動を、あなたも努力なしに取り始めますよ(*´ω`*)
引き寄せでは行動することは必要である。
ただし自分では「いま行動(努力)している!」という自覚がないため、行動不要に思える。
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録音したアファメーションでも効果はあるのか?
今回はアファメーションについてです。
わりとよく、
「アファメーションって自分でしなくても大丈夫でしょうか?」
というご質問をいただきます。
YouTubeにアファメーション動画とかありますよね、そういうものを聴いたりするのでも効果はあるのか?
ということですが、効果はありますよ(*^^)v
なぜ効果があるか?についてなんですが、これは単純に、人間の脳は聴覚からでも刺激を受けるからです。
たとえば好きな歌のCDを聴くとします。
聴くと元気が出たりしますよね。
もし効果がないなら、聴いても元気が出るなんてことはなく気持ちは変化しないはずですが、しますよね。
怖いお話の朗読を聴いてゾッとする…とかも、効果がないなら怖くもなんともならないはずですが、怖いです。
人の話を耳から聞いて面白いと感じたり腹が立ったりすることも、当然ある。
…というように、聴覚からの刺激で人の思考や感情が変化するというのは当たり前のことですから、
「効果ないかも…?」
な~んて心配はご無用、安心して聴いてほしいと思います。
あ、ただ一応言っておきますが効果はあると言ったって、
「人を問答無用で変えてしまうほどの強烈な効果」
とかまではないですからね~、そんなのあったら怖い、誰かに聴かせたら思い通りにできちゃう(;^ω^)
アファメーションは聞き流すだけでも効果はあるの?
では次に、
「腰を据えて『さぁ聴くぞ!!』とかいうのじゃなくて、家事をしながら聞き流すとかでもOKなの?」
についてですが、基本的にはOKです。
聞き流すのでも人は無意識に音の影響を受けています。
あ、そうそうたとえばお店のBGMありますよね。
あれって別に「さぁ、聴くべ!」と思って聴いてる人はあんまいないと思いますが、
ただ聞き流しているだけでも知らず知らず影響受けてるんですよー。
お昼にはアップテンポのBGMを流すと、知らず影響を受けて人の食べる速度が上がります。
なのでお店の回転率を上げたいお昼時なんかはアップテンポの曲をかけているお店もありますね。
テレビのCMソングとかも、「覚えるべ!」とか気合い入れて聴く人あんまりいないと思いますが、
なんか何度も聴いているうちに覚えちゃって気づくと口ずさんだりとか。
で、お店で「あ、あのCMソングの商品だ!」と買ったりする。
聞き流していても、こういう感じで無意識に影響を受けていきます。
言語に関連する作業をしていないときに聴くほうが効果的
ただ、聞き流すのであれば「言葉」に関連する作業をしていないときのほうが良いと思います。
人間の脳って、似たような系統の作業を同時にこなすことが苦手です。
たとえば、食べながら音楽を聴くとかは同時に難なくできますけど、
人の話を聞きながら本を読む…となると、どっちかがおろそかになりませんか?
話を聞いている間本を読む手が止まったり、本を読んでたら相手の話がわからなくなったりとか。
前者は「食事」と「音楽を聴く」で関連がないのに対して、
後者は「言葉を聞く」と「言葉を読む」で、どっちも言葉に関連していますね。
こうして同じようなことを同時にしようとすると脳は、
「うわー、同じようなこといっぺんにっていうのはちょっとキツイですわ~」
となるのでうまくいかないんです。
なので、アファメーションの言葉を洗濯しながらとか、食事しながら聴くとかはいいんですが、
パソコンの文字を読みながら、携帯の文字を追いながら…とかだと脳のパフォーマンスが落ちるぶん効きづらいかと思います。
言葉に関連していない作業の時に聴くのがおすすめです。
寝ている最中に流しっぱなしにするのは避けたほうが良い
「それでいくと、寝ながら聴くのは問題ないよね?」
というと、はい、問題ありません(*´▽`*)
でもでもちょっと気をつけてほしいのが、睡眠中ずっと流しっぱなしにしない、ということです。
中には、
「寝ている間も潜在意識は働いているっていうし、だったら寝ている間じゅう流しっぱなしにしておけば睡眠中にアファメーションできるぞ!」
と考える方もいるのですが、寝ている間に音が流れていると、
「わー、この音を処理しないとー!」
という方向に脳がいってずっとその音の処理に追われて疲れてしまいます。
脳がしっかり休まらないし、休まらなければ人は当然、
「眠い、疲れが取れない、やる気ない」
となっていきますので、アファメーションを流しっぱなしにしてしまったせいで疲れが抜けきらずやる気なくなってきた…とかにならないよう、
ベッドに入って20~30分ほどで音が切れるようにタイマーセットしておくほうがよいですね。
「聴いてるけどアファメーションの効果がない…」という人は?
ここまで読んで、
「私、聴いてるけどなんの効果もないんですけど…」
と思った方もいるかもしれませんので、なぜ効果のない人がいるのか?についてです。
この効果ない、というのなんですが、
「数日聴いても効果がありません」
とかいうのなら問題ありません、それは単に聴く日数がまだ少ないだけなので、継続してみてください。
ではなくて、
「何か月も聴いてるのに効果ない」
という人もたまにいるのですが、そこまで長期間聴いてもなんの効果ない人ってそもそもの、
「効果出すぞ、私は変わるぞ」
という意志が薄弱な気がします。
最初のほうで「人を問答無用で変えてしまうほどの強烈な効果はない」と書きました。
あくまでも、自分の思考のバックアップ、くらいのものなんです。
「さぁ、元気出そう、今日も頑張るぞ!」と思考して、そこで「元気の出る曲」を聴くとする。
この場合「元気の出る曲」って、自分の「元気出すぞ」という思考のバックアップになりますよね。
なので元気が出ます。
でもでも、これがもし、
「失恋した…もう死にたい…死ぬことしか考えられない…」
というような、どん底の悲しい状態にいるときに聴いても…まぁ、あんま効果ないですよね。
強制的に曲に「元気にさせてもらえる」なんてことまではないわけです。
同じように、アファメーションの音声が強制的にあなたを変えてくれるということはないし、
そもそも、「変わるぞ」という思考というか、決意というか、目的がないと、変わるための音はバックアップとして機能しないです。
「変えてもらおう」という依存心があると変われない
ずーっと効果が出ない人というのはなんか、
「アファメーション音声に変えてもらえる」
みたいなスタンスに見えるんですね。
バックアップの役割しか持っていないものに過剰に期待・依存している感じ。
「これを聴いてれば私は変わるんだ…頼むから私を変えてくれ…」
「聴いたんだからいいことあるんでしょ?あってくれ…」
みたいな…。
これってね、
「自分ではないものになんとかしてほしい、何か与えてほしい」
という依存心から手を出したものがその音なわけですから、その後、
依存したいという思考→音を聴く、依存したいという思考→音を聴く、
という行動を繰り返すと、脳内で「依存=その音」とつながって学習がなされます。
「依存=その音」と学習が行われると、
「その音を聴いたことを引き金に、依存心が引っ張り出されてくる」
となります。
これを何度も繰り返していればどんどん依存心が強く定着していき、人生が変わるどころかかえって変わりづらくなります。
でも、
「私は変わるための作業としてちゃんと音を聴くということをやってるぞ!」
というのが意識の上での解釈なので、自身の依存心が膨らんでいっていることに自分でも気づかなかったりもします。
もしいま、
「もう何か月も毎日聴き続けているのになんの効果もない」
という方がこれを読んでいるとしたら、
「私はこの音を、『変わる』という目的を達成するためのバックアップとして使っていたのか?」
「それとも、『この音に変わらせてもらうこと』が目的だったのか?」
について、考えてみてください。
あと、
「そうか…録音アファメーションには効果あるのか…。
じゃあよくある『引き寄せ体質になる!』とかいう音楽にも効果あるのかな?」
と思った方は、こちらの記事もどうぞ↓
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アファメーションのやり方「願望形ではなく現在進行形」
今回は、アファメーションのやり方についてのお話です。
わりと多く、
「アファメーションだと『○○になりたい』という願望形を使ってはいけないんですよね?
だから、ちゃんと『なりつつある』という現在進行形を使ってるのになれないんです」
といったお話を聞くので、ここについて。
確かにアファメーションではよく、
「お金持ちになりたい」
といった願望ではなく、
「私はお金持ちになりつつある」
「私はお金持ちだ」
というふうに、現在進行形や断言する言い方を使うやり方が良いと言われます。
「なりたい」だと、裏を返すとまだなっていないということを認めたことになるので良くない、というのが理由ですね。
これに対して、
「ははぁ、なるほど確かにそう言われればそうだ!
そうか、アファメーションでは願望形は良くないんだ!やめよう!」
と思って使わないように気をつけている方もいると思います。
それはそれでOKです、私も通常アファメーションでは、
「なりたい」よりも「なりつつある」のやり方のほうをおすすめしています。
「なりたいと言うやり方はご法度」というわけではない
ただ、ちょっと誤解してほしくないなーと思う点は、
「別になりたいって言葉を使ったからって夢が叶わなくなるわけじゃない」
ということ。
中には、読む本読む本、見るサイト見るサイトにこう書かれているので、
「なりたい、という言葉はご法度!」
「そんなアファメーションのやり方をすると夢は叶わなくなる!!」
みたいに思っている方もいるかもしれないけれど、別にそんなこともないです。
さっき、
「『なりたい』だと、裏を返すとまだなっていないということを認めたことになるので良くない」
と書きました。
ここだけ読むと、確かに…!みたいな気になります。
でもね、あなたはこういうときなんて言います?
たとえばあなたに近々、旅行に出かける予定があってすっごく楽しみにしている!というとき。
普通は、
「ああ、早く旅行に行きたいなー!」
って願望形で言いますよね。
ここで、
「ああ、私旅行に行きつつある~!」
とか言う人いる?(笑)
いや、まぁ行く日が近づいてるんなら行きつつあることは間違いないんですけど、
だからってこんな言い回しは普通は使わないと思います。
で、別に「行きたいな~!」と言ったからって、
「行きたいと願望形を使ったせいで予定はダメになります!」
な~んてことはないですよね。
「なりたい」だと、裏を返すとまだなっていないということを認めたことになるので良くないって言ったって、
実際のところまだ旅行に行ってないもんは行ってないですわ、と思いません?
「いや、だって行ってないし。私まだ家にいますけど?」
と認めると旅行に行けなくなるの?というと、別にそんなことないですよね。
アファメーションで肝心なのは唱えるときの「思考」
「言われてみれば『なりたい』って普通に言うじゃん…。
じゃ、なんでアファメーションで『なりたいって言わないのが良いやり方!』なんてこんなにしつこく言われてんの?」
とか不思議になってきたかもしれません。
これどういうことかというと、使ってる言葉は同じでもその言葉を使ってるときの「思考」は全然違うんですね。
○金持ちになりたいよう……
○早く旅行に行きたいな~♪
どっちも「したい」という願望形ですが、前者のほうは、
「あぁ、どうせ無理だけどなれたらいいのにな、なりたいな…」
みたいな感じ。
そもそも金持ちになんてどうせなれないだろうけど、
でもなれたらいいのになぁ…みたいな、なんか無理だと諦めた上で言ってるような感じですね。
対して後者のほうは、
「もう行くって決まってて待ちきれないよー、行きたい!!」
みたいな、そもそも行くのが当たり前、行く前提で言ってますよね。
前者のなりたいは「なれない」という諦めから出てる言葉、
後者のなりたいは「なれる」という確信のもと出てる言葉。
言ってる言葉は同じでも、抱いている思考は諦めと確信だと全然真逆です。
アファメーションでは「今度旅行に行く」なんて小さいレベルじゃなくってもっと大きなことを望む人が多いです。
「どうせ(そんなデカいことは)無理だろうけど…」
という諦めから「なりたい…」という人が多いので、
「そうやって諦めなさんな、その諦める思考が現実になるでー」
「じゃあさ、『なりつつある』と言えば諦める気持ちもやわらぐよね?まだ可能性ある気がしてこない?」
と、諦めをなるべく消そうってんで現在進行形を使うようすすめられてるだけで、これ裏を返せば、
「私は金持ちになれて当然だ」
とさえ確信してれば、
「あぁ、金持ちになりたーい、早くなりたいなりたい!」
とどんだけなりたいって言おうがなれます。
重要なのは言ってるときの思考、気持ちなんですね。
なんたって思考が現実になる法則ですから、
「(どうせ金持ちになるなんて無理だけど本になりつつあるってやり方がいいって書いてあったから)なりつつあります!」
なんて思考で唱えてたら意味ないし、
「(ひゃっはー私にはなれて当然だぜ!いつなるんだろ、めっちゃ待ち遠しいな~早く)なりたーーーーい!」
ならこりゃもうなれる。
ということで、結局ものを言うのは思考です。
「正しいやり方」を鵜呑みにし逆に効果が出なくなる人も
人間って言葉の影響を受けて思考が変わることがあります。
うーん、言葉の影響で思考が変わる例っていうと、たとえば…。
あ、昔どっかで聞いた話だけど、旦那さんが車好きで車種に詳しくて、しょっちゅう「あの車は…」とかいう話をする。
最初は興味ねー!とか思ってたのにいつの間にやら自分まで、街を走ってる車をチェックするようになった、みたいな話がありました。
これもともとは「興味ない」という思考が、車は、車は…という言葉の影響を受けて変わってますね。
同じようなことっていくらでもあるので、最初は「どうせ無理」という諦める気持ちがあっても、
「なりつつある、なりつつある、なりつつある…」
と繰り返すことによってその言葉の影響を受け、
「そうだよ、もしかしてこれからなれるかも…?なれる可能性だってあるじゃん?」
みたいに思考が変わっていくこともじゅうぶんありえます。
それを狙って「なりつつあると言うやり方がいいよ」と言ってるだけで、
別に「なりつつある」と言いさえすればそれで夢は叶いますとか、
「なりたい」という言葉を使ったら絶対ダメダメ実現不可能!とかそんなんじゃないんです。
ネット検索するとアファメーションの正しいやり方!といったものがいろいろ出てきますが、それだけを見て、
「言い回しを同じにすればそれでいいんだ!」
とか思っても、言い回しってのは本質じゃないです。
本質は言うことによって「思考を変えよう」という…あくまでも思考がどうか?が大事な部分ですから、
そもそも自分の「どうせ無理だ」って考え方を変える気がないまま唱えてたり、あと、
「さぁ、ちゃんとこれがコツだって言われてるとおりにやったから、これで叶うんだろうな!?」
というような依存心…、私はちゃんと唱えたので、あとは誰かなんとかしてくれ~的な自分以外のものに頼る思考で唱えてても意味がなくなっちゃいます。
ひどいと唱えるたびに依存心が強くなって、
「ちゃんと唱えてたのに、唱える前より状況がひどくなったけどなんで!?」
みたいなことも起こります。
これ潜在意識が「依存、依存、依存…」って思考を感じて、
「へー、この人の望みは依存することか!じゃあ、もっと依存できるような現実にしてあげなくちゃ…」
と勘違いを起こすからですね。
もっと困る状況になれば「誰かなんとかしてー!」という依存心はますます膨らみますよね、なので現実がもっとひどくなったりします。
「なりつつあります」と言うことで、
「そうだ、私にはなるだけの力があるんだ!」
という「私はできる!」って思考に変えましょうってのがアファメーションの趣旨ですから、
唱えて「私以外のものがなんとかしてくれるかな?」と思ってたら趣旨と真逆にいっちゃってることになります。
本来は自立心を高めるために唱えるものですよー。
ということで、
「アファメーションでは『なりつつある』というのが良いやり方です!」
というのはあくまでも、
諦めの思考を手放しやすくなるのでそうしてね、という意味で、
そう言いさえすればいいとかそういうものではないのですよーというお話でした。
アファメーションで大切なのはあくまでも「思考」です。
巷で「これが正しいやり方だ!」と言われていることに、とらわれすぎないのがうまくいくコツです。
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